思い出の街角 昭和20年代 大夕張駅前 昭和25年頃の駅前通り。 白黒写真に着色した画像 労働文化祭の横断幕が見える。人出が多い。 大夕張の駅前通り。この場所からの撮影も定番。 左手に郵便局。昭和9年に大夕張駅前に新築移転した。この後、昭和29年に新しい局舎が建てられることになる。 右手には緑町の詰所。緑町詰所の後ろには、『十八番食… 続きを読む
思い出の街角 読売新聞大夕張通信部 (千年町) 取り壊し前の読売新聞大夕張通信部 読売新聞大夕張通信部 【奥山道紀】(2001年10月01日) 大夕張が炭鉱で賑わっていた頃には、会社の社報や労働組合の機関誌を始め、各文化サークルの会報など、色々な出版物が発行されていました。 読売新聞の販売所は大夕張通信部を兼ねていましたが、所長の高橋勇治… 続きを読む
思い出の街角 シューパロ湖駅と記念行事 白黒写真に着色した画像 昭和37年(1962年)開業 ~ 昭和44年(1969年)廃止 昭和37年、大夕張ダムの完成とともにできたシュ―パロ湖は、湖と夕張岳を望む風光明媚な観光の場所として期待されていました。シュ―パロ湖駅は高台にあり、湖水に面したホームからは、シュ―パロ湖と夕張岳、そして、三弦橋… 続きを読む
思い出の街角 雪とのくらし2 昭和30年頃、便所、雪の中での汲取り作業 人間必然なお仕事【ヒロ】 これは人間の必然なお仕事、家の中からは特製の大型ノミで削り壊し、外から汲み出し。 春になると畑と思しき場所に「堆肥」としていたハズ?… 続きを読む
思い出の街角 雪とのくらし1 昭和30年頃。便所。汲取り作業。 白黒写真に着色した画像 私の覚えている大夕張【Kawauchi Masami】(2020年3月13日) 物心ついた頃は 街は馬だらけでした。 家庭に山炊き炭を運ぶのも馬車。 汲み取りも馬車。便槽からガンガンですくっていましたよ。 幼稚園ぐらいに オート三輪のバキュ… 続きを読む
思い出の街角 雪の校庭 冬。雪の鹿島小学校校庭。校門のそばにイタヤカエデの木。大夕張駅の向こうに夕張岳という大夕張っ子にはなじみの深い光景です。 昭和30年代の風景。 白黒写真に色付した画像… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年頃 千年町駅ホームにて 千年町駅ホーム、手書きの文字の駅名板が懐かしい。 昭和37年の道路開通まで陸の孤島だった大夕張。駅名板には郷愁を覚える方も多いのでは。 白黒写真をカラー化した写真 昭和40年頃、千年町駅ホームにて ↓同じ頃、大夕張駅ホーム https://ooyubari.com/2021/01/07/ooyuba… 続きを読む
思い出の街角 昭和28年 富士見ヶ丘スキー場 昭和28年頃、「スキー場」と云えば、ここのことだった。正式には、富士見ヶ丘スキー場というのだそうだ。左手に大きなジャンプ台があった。この写真にもそれが写っている。中腹の小屋が見えているあたり。 https://ooyubari.com/2020/02/13/gakurokunosatofujimi… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年頃 大夕張駅ホーム 昭和40年頃、大夕張駅ホーム。 のんびりとしたある晴れた日の大夕張駅ホーム。後ろの木立の向こうに、鹿島通運、郵便局などの建物が見える。駅業務の合間の一コマだろうか。 白黒写真に彩色したカラー写真… 続きを読む
思い出の街角 崖のジャンプ台-春日町 直心の坂- 昭和35年頃 代々木町から春日町にかけての坂道を利用したジャンプ台 崖のジャンプ台。 今さんのアルバムから掲載させていただいている写真の中の一枚。『崖のジャンプ台』は、春日町の詰所裏のジャンプ台の写真ではないでしょうか。 これまで話に聞いていたジャンプ台が写った写真と思われます。 昭和30年代こ… 続きを読む
思い出の街角 昭和48年 大夕張駅時刻表 昭和48年12月15日、三菱大夕張鉄道のお別れ運転がありました。その列車を撮影後、大夕張駅に戻り待合室で撮った写真です。最後は清水沢までの三往復だったのが分かります。当方のブログで過去に紹介した写真ですが、こちらの掲示板にもUPしますね。 大夕張駅の雰囲気は味わえるでしょうか? ↓海も好きのブログ「… 続きを読む
思い出の街角 駅前下の商店街 昭和45年頃 昭和45年頃。 コカ・コーラの搬送車、赤に白のロゴが書かれた看板や、大夕張スタンプの看板が目を引きます。 この頃、自動販売機はなかったはず。 それにしても、コカ・コーラを初めて飲んだのはいつのころだろう。 札幌の高校生になった昭和47年以降、コーラ・ファンタを当たり前に飲んでいた気がするが… 続きを読む
思い出の街角 栄町商店街(川西商店・森永薬局・矢口時計店・福川メガネ・伊藤金物店) 昭和39年頃の商店街。 雪解け時期でしょうか、水を含んだ雪を除雪している様子の人の姿や店先に立てかけたスコップが見えています。 店舗はけっこう入れ替わりが多く、年代によってその名を変えているようです。 写真では、おそらく手前から「かわにし」「森永薬局」「矢口時計店」「福川眼鏡店」「伊藤金物店… 続きを読む
思い出の街角 昭和50年代 千年町 双葉食堂 昭和57、8年頃(1982、3年頃)千年町 双葉食堂の暖簾の前で 千年町 双葉食堂 坂本行雄さんとの写真です。37〜8年くらい前だと思いますが、家族で大夕張を訪れた時の写真で父が撮ってくれたものです。今となっては母とそっくりになっている私ですが💦 (2020年8月10日) 昭和43年の住宅地図 … 続きを読む
思い出の街角 昭和30年頃 プール 昭和30年頃。 プールは、昭和26年、当時どの施設もそうだったように、大夕張礦業所によりつくられました。 この写真。 まだ、栄町アパートが建っていないません。なんだか、やたら広さばかり目立つ写真のように思っていたら、四方を囲んでいた板のフェンスもない。どうりで手前の草地がやけに広い・・・。 おかげで… 続きを読む
思い出の街角 昭和48年秋 常盤町 鹿島中学校とサトミ公園 千年町~明石町間の線路端の法面の上から、昭和48年秋頃の撮影です。 炭鉱も閉山し、大夕張鉄道も冬には廃止ということで、SL撮影のために登ったついでに影したものと思います。 いま改めて見ると、鹿島中学校やサトミ公園なんかが見えますね。 当方のブログ「煙の記憶」の今は、三菱大夕張鉄道から夕張鉄道… 続きを読む
思い出の街角 昭和48年秋 常盤町 常盤橋・サトミ公園 昭和48年 秋 たぶん、SLと吊り橋を絡めて撮ろうとしたものと推察しますが、肝心のネガは見つかりません。 ちなみに、道路脇の自転車は当時の愛車と思います。 ↓煙の記憶のURLhttps://umimosuki623.blog.fc2.com/ 一枚一枚じっくり鑑賞させていただきます。写真を拡大して… 続きを読む
思い出の街角 栄町プール(子供用)とブロック 誰もいないプール。 前面には水が満々とたたえられたプール。背景には、ブロックと呼ばれた栄町アパートが建ち並ぶ。 カメラを構えた父はどんな思いでカメラを構え、この構図を決め、シャッターを押したのだろう。 昭和40年頃 栄町プール 隣のおじさん 【みほ】(2020年11月15日) この写真は、確かお… 続きを読む
思い出の街角 雨の日の栄町アパート 昭和52年8月。栄町1丁目20-13。 山間のにぎやかだった頃の街に住んでいても、雨がふったこんな日は、手がとどきそうなくらいに低く雲がかかり、なんとなくもの憂げで悲しく、陰気な気分にさせられる・・・。この写真を見て、子どもの頃に感じた気分、ふと思いだしました。… 続きを読む