随想 感想と今の旧炭鉱都市などについて思うことです|現代っ子 初めてきました、複雑な心境です。 嘗て栄えた街が、数年でもはや消滅してしまった・・・。 鉄道まであって、商店街を形成していたのに・・・ 現在の写真をこのページで見させていただくと、本当にこの地に数万もの人たちが住んでいたと思うと不思議でなりません。 地図なんかを見ても・・・想像できな… 続きを読む
随想 山はきれいだぜ|内川准一 今日3時過ぎ、札幌市内のビルから純白の夕張岳が残照に染まって美しかった。 朱鷺色というのか、暗い色の空を背景に、そこだけスポットライトを浴びているかのようにくっきりしていて、涙が出そうになった。 思わず「父さん!」とつぶやいた。 あの場所で、父は命がけで石炭を掘り、子供らを育て… 続きを読む
随想 春眠 | 長谷川潤一 大夕張を出る、夢を見ます。 他の何組かの家族もいます。 駅前には見送りの人たちが来て、またそれを見る人たちも。 車窓が動き出し 人の顔が流れ、ぎこちなく手を振ります。 軽く繕った笑顔に涙はありません、 戻れない不安感だけ。 なぜ離れなければならないのだろう、この今の暮らしから。 … 続きを読む
随想 あのねのお話 | あおいこ 初めて、投稿させて頂きます。 大夕張鹿島の地に 鹿 が舞い降りて来ていると聞きました。 私達が暮らしていたあの頃は、どこに遊びに行っても鹿さんにお会いする事は無かったし、地名の由来さえ深く考えておりませんでした。 やはり太古の昔から鹿の生息地だったのでしょうね。 人間が住まなくなったのを、何… 続きを読む
随想 湖畔の石仏 |Toshinori かつて、大夕張ダム管理事務所から旧明石町駅までの湖畔の道、中間位に石仏が有ります。 大夕張の方なら、ご存知と思います。 湖畔亭を過ぎ、明石町へ近づいていくと崖の上で左への急カーブがあり、その手前の右手に立っていました。 小さいお堂があり、その中に小さなお地蔵様が赤い帽子とちゃんちゃんこを身に… 続きを読む
随想 本物の山わさび |ziny いよいよ、北海道も冬ですね。 富士見のあの湧き水の辺りにはザリガニもいたよね。?・・・ 正記君、お元気そうで!お久し振り。単身赴任から無事?帰ってきましたか。 先日、私もその店を覗いたら山わさびはありませんでした。(当たり前だろ・・と・・怒られますね。今は雪の下で熟成中だよね) 昭和30年当時、… 続きを読む
随想 錦町とこくわとキウイの話 | 曽根幸夫 我が家のキウイの実 今年も我が家(千葉)のキウイが実をつけました。 キウイと言えば『こくわの実』を思い出します。 こくわは,若干蔓性でキウイと同じく、またたび科に属します。 サルナシとも言い、昨今はベビーキウイというそうです。 こくわはキウイをそっくり小さくしたよう… 続きを読む
随想 錦町界隈 模型飛行機 | 曽根幸夫 自作の模型飛行機 昭和36年中学生の頃の思い出です。 小学生の頃から模型作りが大好きでした。 電池とマブチモーターで動く戦車、船、車等を作っていました(マブチモーター(株)今では様々な分野、家電、産業用など広く使われ世界的に有名な会社ですが当時はほぼ模型用モーター専門だったと記憶して… 続きを読む
随想 まぼろし!大夕張の食べ物 |久々湊真一 時々無性に食べたくなる大夕張の食べ物について、思いつくまま書いてみます。 大夕張だけの物なのか、道内各地でポピュラーな物なのかは、不明。 内地に来てからは、全く見かけません。 <ボリボリ> この茸は、味噌汁の具として食べた。 ナメコと椎茸の中間位の大きさで歯ごたえが良かった(ボリボリと… 続きを読む
随想 緑色のまち |内川准一 友人の希望で30日の土曜日、夕張岳に登ってきました。 曇りの予定が、昼前からぐんぐん晴れて思いもかけない絶好の日和。 気持ちよく高度を稼いで、望岳台に着いて、休みながら大夕張を探しました。 悲しかったですね。 なかったのです。「大夕張が無い」のでした。 緑一色の中のわずかの変化を辿って目を… 続きを読む
随想 大夕張あれこれ | jun 大夕張での生活ですが、この齢になっても、くだらないことはいろいろ思い出せます。 ・肉屋さんの軒先に、馬の脚が吊るされていたこと ・父のお酒を買いにときどき空瓶持で行ったこと (今では見られない3合瓶とかもあった。) ・米?塩?の専売通帳があって、持参して買物したこと … 続きを読む
随想 思い出の啓心寮 | みほ 栃木県北部の那須町、黒磯市をおそった集中豪雨から二週間が過ぎましたが、いまだに二名の行方不明者が発見されておりません。 私の住む、真岡市は被害はありませんでしたが、川はかなり増水し天災の恐ろしさを改めて感じさせられました。 那須にはスキーやキャンプなどで毎年行っています。 つい、数週間… 続きを読む
随想 小さき頃の思い出と閉山の頃 |山家直己 富士見町の思い出は、1番はスキーです。 4年までは緑町に住んでいましたので、幼稚園からスキーしていました。 帰りは友達と神社側から小学校のグランドを抜けて(夕方暗くなりグランドの空にグレーの母船型のUHOを2人で見たよ)スキーを履いたまま線路と車道を渡り、家まで帰るのを恒例にしていた。 … 続きを読む
随想 雨鱒の(シューパロ)川|内川准一 映画の一場面 映画を見て先ほど戻ってきました。 今日は月曜日なので、ファクトリ-の映画は男性千円とのこと、駐車場は3時間ただ。 で、3年ぶりに映画を見に行ったワケ。 (映画でなく、「シューパロ川」を見に行ったというのが正しい?) なのに、二百人以上入る映画館には私1人。始まる5分… 続きを読む
随想 関西から スキー便り |近藤志津枝 家を6:30に出ます。 大阪から京都 湖西線に乗り、 めざすは琵琶湖バレースキー場。 ゴンドラに乗り 山頂へ。 山は晴れていました。 3年ぶりです。 板を借りて(年々短くなってゆくまがりやすい) 6時間リフト券を買い、 10:00。 さあー すべりはじめー。 7割若い子スノボ… 続きを読む
随想 坑口めざして | お父ちゃん 斜坑人車で坑口へ 停車するのももどかしく 残りわずかな斜坑を駆け上がる。 そこにはいつもと変わらぬ 陸(おか)の風景が・・・ ガスと落盤の恐怖から 開放された喜びを 感じるのです。 生活の手段とはいえ 青春真っ盛りを そんな環境にぶつけてすごしてきたのが 今思え… 続きを読む
随想 三菱バス |田鎖加代子 我が家のパソコンの調子が悪くなり 主人が悪戦苦闘の末やっと先日回復しました。 そこで久し振りに掲示板を訪問して 三菱バス停に関する数々の投稿を拝見し 胸が熱くなりました。 ふる里は 幾つになっても忘れ難い所なのですね。 いいえ 年を重ねるほど 思い出されるものなのですね。 10年前に 71… 続きを読む
随想 真冬の富士に初登頂した女性|内川准一 タイトルにある『真冬の富士山に初登頂した女性』は、中村(旧姓佐藤)テルさんという方。 この方1904年大夕張生まれで、娘時代は鉱山業の父と一緒に山を歩き、昭和2年正月に藁沓で富士山初登山。 と、秀岳荘「北の仲間と五十年」(記念誌:無料配布)に載っていた。 履歴を知ってもっとびっくり。… 続きを読む
随想 夜間スキー |前田三郎 大夕張のスキー場の思い出と言えば、なんと言っても夜間スキーでした。 水銀灯の明かりの下で滑りましたねー。 上手くもないのに・・・?? でも、夜 水銀灯の下で滑ると、上手く見えるから不思議だよな。 滑ってる人は見えないけど、きれいな弧をえがくシュプールだけが見えるんだよな。 … 続きを読む
随想 カシオペアの丘で | 久々湊眞一 久しぶりに、夢中になって本を読んだ。 カシオペアの丘で(上、下)重松清 著作、講談社 読んだ動機は、この本の舞台が「私が生まれ育った場所「大夕張」に非常に似ている」ことによる。 たとえば、上巻の最初のページを抜書きしてみよう。 「かつて、そこは炭鉱だった。何年か先には、ダム湖になる。北海道… 続きを読む