思い出の街角 昭和47年 三吉神社 昭和47年頃、三吉神社(千年町) 三吉神社は戦前に開設されたという。 千年町在住の中島政雄氏(中島組-北宝建設)が建立したもので、初めは明石町にあったが、大夕張ダム建設による水没のため、千年町に移されたといわれている。 氏子が多く、開運や厄払いで一時は賑わいを見せたという。 多くの商店が建ち… 続きを読む
思い出の街角 歳末助け合い風景(永原呉服店前) 大夕張労働組合解散記念誌『未来に向かって』より。 写真には、昭和32年12月15日と説明されているが、当時と大夕張では珍しい乗用車が映り込んでいる。ザッとネットで調べて見ると、トヨペットマスターという車ではないかと思われる。 場所は、千年町、永原呉服店前での歳末助け合い運動の風景。 永原呉服店は… 続きを読む
思い出の街角 6号付近切り取り跡 昭和37年頃 六号(竜田の沢)付近の切り取り跡。 常盤町からみると二つの切り取り跡が見えるが、千年町側(向かって右側)のように見える。 白黒写真に着色した画像 土砂の取り除き作業 【お父ちゃん】(2007/07/03(Tue) 10:18) 三菱鉄道の保線区の仕事で、毎年、春秋の二回線路脇… 続きを読む
思い出の街角 湖畔のにぎわい 同じ頃のシューパロ湖駅の写真とくらべると、こちらは、公園部分の工事がはじまったばかりという感じ。 知人から送られたこの写真の台紙には、昭和37年(1962年)7月1日の日付がある。暦では、この日は日曜日である。 ちなみにシューパロ湖駅は、前月6月1日に開業したばかり、そして、この年の秋10月… 続きを読む
思い出の街角 岳富町 道路整備 鍋谷正雄氏の「夕張地名豆辞典」に、「地域道路の整備工事」とのキャプションで載っていた。 後ろに岳富町商店街が映っている。昭和30年代にあったという築堤下の建物はなく、築堤の法面の工事を行なっているように見える。 地域道路の舗装化が進む直前の昭和40年頃だろうか。 … 続きを読む
思い出の街角 春日町北と南の境界の空き地 昭和45年頃、春日町北と春日町南の境。こちらから向こうが、春日南、こちら側が春日北の番地 何も無い空き地が北と南の境 白黒写真に着色した画像 矢印の方向に撮った写真… 続きを読む
思い出の街角 メタノール工場とポンプ場 メタノール工場には、同級生の菊池くん(トシボーと呼んでいた)のお父さんが勤めていた。 近所に住んでいたこともあり、家族ぐるみで仲よくさせてもらっていた。よく父や母と、ご夫婦の故郷である四国の話をしていた。トシボーとは、中学校を卒業以来会っていないが、年賀状のやり取りは今も続いている。 遠足や遊… 続きを読む
思い出の街角 大夕張の初詣 | 海も好き 閉山直後の大夕張の初詣。 白黒写真に着色した画像 昭和48年12月31日大晦日or昭和49年1月1日元旦の写真ですね。三菱大夕張鉄道お別れ運転のネガで、後ろのコマなので間違いないと思います。三菱大夕張炭鉱の閉山後、最初の初詣に行った時に撮ったのでしょう。 この場所は健保会館だと思うのですが、いつ頃か… 続きを読む
思い出の街角 湖畔の道路とジープ 昭和40年頃?舗装化される前の鹿島道路。明石町から南部の間、昭和37年に開通したとはいえ、舗装道路になったのはずっと後のことだ。 明石町の郊外?自動車と併走するSLの走行写真で、よくみるような場所だ。 大夕張方面に向かって走る三菱・ジープ。 ジープ型の車両は、大夕張でよく見かけたタイプだ。 この… 続きを読む
思い出の街角 湖畔の道路 昭和37年(1962年)10月。それまで陸の孤島だった大夕張に陸路がつながり、街が大きな喜びに包まれた。 南大夕張ー鹿島間の間が開通して間もない頃の湖畔道路。 大夕張を出たり、入ったりするときは必ず誰でも通った場所でもある。 遠目に、これも開業間もない湖畔亭と、鉄道のシューパロ湖駅が写る。 シュ… 続きを読む
思い出の街角 3号つり橋から橋を渡る列車 昭和30年頃 桜ヶ岡から、シューパロ川にかかる『3号つり橋』の上からちょうど、列車が大夕張方向に向かってやってきた。 目の前に見えるのは、五十鈴沢橋だろう。 大夕張ダムによるシューパロ湖が生まれる前の様子。 昭和32年まであった『農場前臨時乗降場』に続いたという崖の道も見えている。 白黒写真に着… 続きを読む
思い出の街角 冬の栄町ブロック 昭和40年頃、雪に埋もれる栄町アパート。下の、ピリカおじさんの回想によると、栄町1丁目~2丁目の4棟だろうか(健保会館前庭の向かいあたり)。向かいのブロックの窓から身を乗り出して撮った写真と思われる。前岳の裾の方がなんとかうつっている・・・。 深い雪におおわれた、とびきり日差しが強くて、雪光の反… 続きを読む
思い出の街角 昭和8年栄町 昭和8年大夕張礦業所全景の写真は、以前、九州の大学図書館のデジタル資料で公開されていたものだったと記憶するが、現在探しても見つからない。 年代は、昭和8年(1933年)とあっった。 南部から、(北部)大夕張に移転後、4年ほど経過した時期の頃。 鉱員の住宅街。場所は栄町。 炭鉱操業当時は、炭鉱住宅… 続きを読む
思い出の街角 函渕 昭和30年頃。 この場所は、後年、大夕張ダムが作られたところ。 かつて南部から夕張川を遡行すると上流は二股に分かれていて、シューパロ川とパンケモユーパロ川が合流していた。 二つの川の合流地点であることから、二股、と呼ばれた。大夕張ダムの別名も、二股ダムである。 大夕張ダムができる以前、この… 続きを読む
思い出の街角 昭和32年 大夕張駅 見送りの風景3 昭和32年4月 大夕張駅 見送りの風景3 祖父長谷川安造が昭和13年春以来19年間勤めた鹿島小学校を転勤になり、大夕張に別れを告げた。 大夕張駅ホームでの見送りの様子。 白黒写真に着色した画像 大夕張駅 【泊川俊徳】 (2007/03/28(Wed) 11:13) 子供の頃、大夕張駅は随分大き… 続きを読む
思い出の街角 昭和30年代 千年町商店街 あまり画質は、よくないけれど、昭和30年代の千年町の写真は 自分的には貴重なので、掲載していくことに。 TVの映像からスキャンしたもので、当然ながらオリジナルの画像はもっと鮮明でしょう。 千年町のスズラン型の街路灯が、昭和30年代の千年町商店街らしい。 「千年町バス通り」(富田商店・割烹… 続きを読む
思い出の街角 昭和34年頃 大夕張カトリック教会 上空から 鹿島小学校の新校舎が完成して間もない頃。 緑ヶ丘と呼ばれていた地域。 鹿島小学校の裏手の坂を登ったところにあった教員住宅や、教会の裏手の土俵が確認できます。 炭礦が景気の良いときは、大相撲の巡業も行なわれました。 白黒写真に着色した画像 『おばけ神社』といわれていた場所があります。この写真の右手、大… 続きを読む
思い出の街角 昭和28年 夕張岳 昭和28年1月の夕張岳。 大夕張ダムができる前なので、シューパロ湖はない。 向こうに見える対岸との間は、鬱蒼と木々が茂る断崖絶壁のあいだをシューパロ川の渓流が流れていたことだろう。 むこうに、桜ヶ岡開拓地の農家が数軒見えている。 白黒写真に着色をした画像… 続きを読む
思い出の街角 昭和35年 鹿島小学校 大夕張神社に登る坂道で途中息が切れて、苦しくなると、必ず休むのが一つの目の曲がり角。 その昔は、そこから上に登る道があって、もう一つ神社があったらしい。むかし「乃木神社」、時代が下って「おばけ神社」と呼ばれていたというはなしもある。(それぞれ、”乃木神社” ”おばけ神社” で検索すると関係の文章がで… 続きを読む