思い出ばなし

むかあ~し、むかあ~し、ちょっとむかし、こんなこともありましたとさ。
子どもの頃に返って、思い出してみました。

春日町と栄町のくらし|小林俊治 思い出ばなし

春日町と栄町のくらし|小林俊治

  鹿島春日町45番地?詰所のすぐそばの家に住んでいました。(昭和29年生~昭和42年まで)  当時は、子供同士なぜか、広場に集まるのが日課で、知らないうちに毎日違った遊びを考えて、遊んでいました。  今考えると、川向こうの沢に入って、ヤマメ釣や川泳ぎをしていましたが、熊に会わなかったのが不思議でし…
運動会には タンポポと馬糞 |片岡利明 思い出ばなし

運動会には タンポポと馬糞 |片岡利明

   私が小学生の頃(S43年頃)には、まだ馬が現役で活躍しており、当然、道のあちこちに馬糞が落ちていました。   運動会が近くなると、 『足にタンポポの汁をなすりつけ、馬糞を踏みつけると足が早くなる』  という迷信があり、運動足袋(今はないですね)を真黄色にして、走ったものでした。   馬糞も、運…
共に過ごした先生方|長谷川ヒロ子 思い出ばなし

共に過ごした先生方|長谷川ヒロ子

 今年、88才になった叔母です。下にもあるように、昭和29年(1954年)から四年間、鹿島東小学校に勤務していました。 その時の同僚だった方々の名前を思い出してくれました。記憶の中の先生達です。 共に過ごした先生方 【長谷川ヒロ子】  大方の先生は、鹿島小学校から異動してきましたが、私は最初から鹿島…
荒川商店の思い出  | 小野美音子 思い出ばなし

荒川商店の思い出 | 小野美音子

 人懐っこい丸顔のおばさんは、いつも笑顔で店番をしていました。    マンボ、くじ、おもちゃの指輪、ジュース、駄菓子など子供には楽しいお店でした。  母と寄ると、くじをタダで引かせてくれ、それが最近不思議に、思い出され、母に聞くと、千年町あたりでおばさんが友人と会う時、仕事を終え、急ぎ支度で出て来て…
冬の思い出  |  内川准一 思い出ばなし

冬の思い出 | 内川准一

 今日は今年一番の寒い日でした。盆地の大夕張は、今頃、一段としばれて、青くかすんでいるのでしょう。  こんな日は、ストーブ(確か白熱ストーブと言ったような)をいくらたいても暖かくならず、熱は煙突と天井の隙間からみんな外に逃げていくのでした。  全くボロな家に住んでいたものです。  毎朝、丹前の縁に息…
私の大夕張時代 | 長谷川ヒロコ 思い出ばなし

私の大夕張時代 | 長谷川ヒロコ

 ここに寄稿してくれたのは、私の叔母です。  昭和8年生で、今年88歳になりました。字も達者で大判の原紙に細かい字で書いて送ってくれました。  子供時代から20代までを大夕張で過ごし、昭和28年から鹿島東小学校の教員として勤務していました。  私が幼かった頃(昭和34年ころ)、富士見町線路脇の住宅で…
子どもの記憶  |菅井宏史 思い出ばなし

子どもの記憶  |菅井宏史

 長谷川さんが大夕張時代の「食憶」をお持ちのように(「食憶」シリーズいつも楽しく拝見してます)人それぞれ大夕張の、あるいは大夕張時代の一連の記憶というものがあるのかもしれません。   昭和30年代後半から、40年代前半が、私の大夕張の記憶の全てなのですが、あの時代の思い出といえば(これは大夕張の記憶…
時代を支えた馬  |  泊川俊徳 思い出ばなし

時代を支えた馬 | 泊川俊徳

 戦前から昭和40年過ぎまで、随分、馬が活躍してくれました。  戦時中は、炭鉱坑内の『石炭運搬』、街の中では、『運送屋』、日本通運・鹿島通運の荷物の運送、又、当時 トイレのバキユームカーの代わりに、馬車に大きい木製の箱に、ウンチを入れて、通称『便所場球場』へ運び、川へ流しました。  夏は『馬車』。 …
節分の思い出 | ziny 思い出ばなし

節分の思い出 | ziny

 石炭ストーブの上で、大豆を炒って  「鬼は外・福は内」 と豆をまき、自分の年の数の豆を食べるというのは、どの家も同じだったと思うのですが・・。(我が家はストーブも何度目かにはフジキ式ストーブになった。)  でも、食べた分とは別に、年の数だけの豆をチリ紙に包み、近くの四つ角へ置きに行くというのは、ほ…
『三菱君』とご近所さん|斎藤 敏幸 思い出ばなし

『三菱君』とご近所さん|斎藤 敏幸

 以前、TVの「琴姫様」も話題にあがっていましたが,僕もTVにまつわる思い出があります。  まだ、栄町にブロック住宅が建つ前の話なのですが、普段は倹約家の父が何を思ったのか、三菱マークのTVを長屋で一番最初に買ったのです。     さあそれからが大変。  朝となく夜となく、ご近所さんが、我家にやって…
乙女の姿・・・ |ziny 思い出ばなし

乙女の姿・・・ |ziny

 この寒い時期は家の中で遊ぶことが多く、昔、お正月はカルタ遊びで過ごした方も多いと思います。  我が家では、よく百人一首をしました。  また、町内会対抗試合にも、出さされ、詰所の冷たい畳の上で戦いをした記憶があります。  1チーム3人で、攻め(5,6枚)、中堅(15枚くらい)、守り(30枚くらい)で…
百人一首 |石原賢治 思い出ばなし

百人一首 |石原賢治

 定番の『全国共通かるた』ですが、九州出身のわが家にあったものは、読み札に、公家だの、姫様だの、坊主などの作者の絵がかかれていまして、『坊主めくり』などという、お坊さんには大変失礼な遊びをしていました。  裏にした読み札を、順番に1枚ずつめくり、坊さんを引くとそれまで貯めた札を出し、お姫様が出るとそ…
私の断片的記憶|たいこのもりお 思い出ばなし

私の断片的記憶|たいこのもりお

 時々、大夕張の事を思い出します。  はっきりとした事や、断片的な事や、曖昧だったりですが、投稿させていただきます。    昭和30年代の半ば、鹿島小学校のグランドにサーカスが来て、バイクの曲乗りをした。  冬はグランドに雪像がたくさんあった。   緑町の2丁目に、八木さんという床屋さんがあって、そ…
牛乳配達のアルバイト|花田勝則 思い出ばなし

牛乳配達のアルバイト|花田勝則

 堀田牛乳では、小学生の頃、何年か牛乳配達のアルバイトをしていました。    夏場はリヤカーで、あるいは自転車で、冬場はそりに乗せて、配達してました。    冬場は、明け方3時・4時の配達で、牛乳が凍らない内に配達しなければなりません。    一度に沢山積んで出発出来ないので、何度か堀田牛乳店に戻っ…