鹿島中学校科学クラブ ゴーカートづくり| Kawauchi  Masami 思い出の記

鹿島中学校科学クラブ ゴーカートづくり| Kawauchi Masami

 鹿島中学3年生の時、科学クラブに入りました。  クラブは、2つに分かれていて、化学と物理学で、私は物理学部でした。  3年生の時、文化祭で、2サイクルエンジン ・4サイクルエンジン・ロータリーエンジン、の仕組みを紙に書いて貼り出した事が有りました。  覚えていないかなあ・・・当時、化学部は水素に誤…
河村先生 |千古のみどり 随想

河村先生 |千古のみどり

   学校でお世話になった先生は、沢山いらっしゃいます。  覚えていますか… 鹿島小学校の上の、小高い丘の上にあった『大夕張カトリック教会』を? 『人は何のために生まれ…そして死ぬのだろう…』  あそこへ行ったら、教えてくれるかも知れない…  そんな思いで教会の門を叩いたのは、私が小学生の頃でした。…
昭和13年10月 大夕張尋常高等小学校 3年 集合写真 学び舎の思い出

昭和13年10月 大夕張尋常高等小学校 3年 集合写真

 この写真は、祖父が、沼ノ沢から大夕張尋常高等小学校に転任してきて、初めての集合写真。  昭和13年(1938年)10月、礦業所の発展にともない、児童数が1000名を超え、校舎増築も追いつかず、二部授業を行っていたという頃です。国家総動員法が発令され、国が戦争への道を進んでいった頃。  大夕張のみな…
「琴姫七変化」のチャンバラごっこ|小野美音子 思い出ばなし

「琴姫七変化」のチャンバラごっこ|小野美音子

 テレビの無かった我が家に、御近所の、木下さん、古山さん、星山さんなど、色々な方が、おもしろそうな番組があると、よく、誘って下さいました。  木下さんの家では、よく「琴姫七変化」を、見に行かせてもらいました。  それはきれいな琴姫さまが、主役で、悪者がでると、七変化してやっつけ、最後には、何事もなか…
「ヒマラヤ天兵」と「めくらのお市物語」 |高橋正朝 #19 続・大夕張つれづれ

「ヒマラヤ天兵」と「めくらのお市物語」 |高橋正朝 #19

 鹿島東小学校5年生のとき、「 おもしろブック 」に「 ヒマラヤ天兵 」というマンガが連載されていた。  作者は「 棚下照生 」。  タナカ•テルオ と読ませる漢字の名前としては大変珍しい。 テレビドラマにもなったらしいが、大夕張で視聴できた番組だったかどうかは知らない。     このマンガが連載中…
鹿島の太陽|ziny 随想

鹿島の太陽|ziny

「黒部の太陽」を観てきました。 「裕次郎の夢」全国縦断チャリティ上映会、に当選して、さいたま文化センターまで出かけてきました。  会場はびっしり満員で、ざっと数えて千五~六百人もいたでしょうか。  私より先輩が多数と、感じましたが。・・・  44年振りの完全公開だそうです。スクリーンの中の、今は亡き…
昭和48年 大夕張駅時刻表 思い出の街角

昭和48年 大夕張駅時刻表

昭和48年12月15日、三菱大夕張鉄道のお別れ運転がありました。その列車を撮影後、大夕張駅に戻り待合室で撮った写真です。最後は清水沢までの三往復だったのが分かります。当方のブログで過去に紹介した写真ですが、こちらの掲示板にもUPしますね。 大夕張駅の雰囲気は味わえるでしょうか? ↓海も好きのブログ「…
クリスマスの記憶 |野口美代子 随想

クリスマスの記憶 |野口美代子

 小学生か中学生か定かではない記憶の一葉に、クリスマスイブに、河村先生(聖心幼稚園)に連れられて、大夕張炭砿病院の廊下で、クリスマスソングを何曲か歌いました。  静かな入院病棟に美しい(?)歌声を響かせたことがありましたっけ。  聞いた人達の感想は聞けませんでしたが。  その炭鉱病院に作家の渡辺淳一…
新型車 |内川准一 随想

新型車 |内川准一

 スバルから新型の軽自動車が出た。  興味があったので、カタログをもらってきた。  長さ3.2m、幅1.5弱、車輪の間は2.2mの小さな車だ。  小さな車が好きなので、すっかり気に入ってしまった。  夫婦2人になったらこんなのでもいいかな?(買わないけど・・)  昔、スバル360という車があった。 …
12月のある夜の出来事 続 2丁目3番地

12月のある夜の出来事 続

 前回の投稿を受けて、翌日から、次のような書込みが続きました。  「さっぽろっこ」さんの行動、山口さんのおばあちゃんやご家族によせる思いやり、あたたかさが、行間ににじみました。  当事者である「さっぽろっこ」さんと、「山口」さんからのメッセージを交えて紹介します。   山口さんのお母さん 【田中 紀…
12月のある夜の出来事  2丁目3番地

12月のある夜の出来事 

 かつて『ふるさと大夕張』の掲示板に投稿された一つの出来事にまつわるおはなし。  2004年の12月、『ふるさと大夕張』の掲示板に、街中で出会った一人の老女との出来事について書かれた投稿がありました。  投稿者は、札幌に住んでいる若い年代の方と思われました。  その投稿を巡って、小さな感動が生まれ、…
昭和32年 緑町 物置前で 楽しかった日々

昭和32年 緑町 物置前で

昭和32年頃の緑町の長屋前の物置小屋の前です。 小屋の作りと、服装が時代を感じさせますね。 ちなみに 隣の女の子 歳はわかりませんが ジュンコちゃんと呼んでいました。 緑町3丁目15番4舎の家の前の 物置き小屋の前でした。 (2020年12月4日)…
1970年のころ |  宇良田 彰 随想

1970年のころ | 宇良田 彰

 1970年(昭和45年)は、世田谷の下北沢にいました。  札幌から東京に移り、一種のカルチャーショックを受けていた時代でした。  目的が定まらず、単位を取るために学校に通う毎日でした。  目的が定まっていないということは、色々なことに手を出しては火傷をし、熱いと感じて手を元に戻すことに似ています。…
駅前下の商店街 昭和45年頃 思い出の街角

駅前下の商店街 昭和45年頃

 昭和45年頃。  コカ・コーラの搬送車、赤に白のロゴが書かれた看板や、大夕張スタンプの看板が目を引きます。  この頃、自動販売機はなかったはず。  それにしても、コカ・コーラを初めて飲んだのはいつのころだろう。  札幌の高校生になった昭和47年以降、コーラ・ファンタを当たり前に飲んでいた気がするが…