トルコ | 古山園美 随想

トルコ | 古山園美

   10年前、初めてトルコに行きました。  かの有名なカッパドキアにある町に行った時、『大夕張の匂い』を感じました。  それは、街じゅうでたく、石炭のにおいだったのです。  そして、うす紫色の石炭の煙の中に沈んでいるような、夕暮れの町は、まるで大夕張でした。  そして、去年の夏、『20世紀最後の皆…
崖のジャンプ台-春日町 直心の坂- 思い出の街角

崖のジャンプ台-春日町 直心の坂-

昭和35年頃 代々木町から春日町にかけての坂道を利用したジャンプ台  崖のジャンプ台。  今さんのアルバムから掲載させていただいている写真の中の一枚。『崖のジャンプ台』は、春日町の詰所裏のジャンプ台の写真ではないでしょうか。 これまで話に聞いていたジャンプ台が写った写真と思われます。 昭和30年代こ…
『松・竹・梅』&『ゆり』|ziny 思い出ばなし

『松・竹・梅』&『ゆり』|ziny

 お正月に「松竹梅」という言葉を耳にすると、小学校時代を思い出します。  鹿島小学校の『組』の名前です。  ・・昭和30年代は、 「松・竹・梅・櫻・菊・桃・藤」 という名前だったと記憶しています。 「すみれ」もありました。  団塊世代では「桐」もあったと思います。  50~55人前後の生徒数。6学年…
シューパロ湖畔のラッセル 運んだ、石炭を人を

シューパロ湖畔のラッセル

 昭和47年(1972年) 冬。大夕張鉄道・キ1が、青空の下、シューパロ湖畔を進行中。 左手のシューパロ湖も凍結し、新雪に覆われています。美しい風景の中を羽根を広げ、悠然と雪を書き上げながら走ります。 ラッセル車現役の頃 【長谷川 潤一】 1998年11月30日 南部に置いてぼろぼろになってきたラッ…
しめ縄・しめ飾り 街の行事

しめ縄・しめ飾り

昭和40年代 お正月には、各家庭の、玄関先にしめ縄、しめ飾りが飾られた。 『遥かなる思い出の故郷』からの白黒写真に色付した写真 『遥かなる思い出の故郷』より しめ縄・しめ飾り  【Masami Kawauchi】(2020年4月15日)   お正月、玄関の細い縄に、半紙を、切って折って、親父が、付け…
新雪 大夕張駅発 運んだ、石炭を人を

新雪 大夕張駅発

 昭和46年冬 (1971年)1月。新雪のあと、晴れた日の午後。空高く煙を吹き上げ、客車と石炭車をひいた列車が出発します。  大夕張駅の屋根の向こうには、雪を被って真っ白な、ずり山が見えています。  泉町(宝沢)の方から、駅に向けてとった写真で、泉町からの小道も除雪してありますね。 白黒に色付した写…
松本あきら(零士)の『電光オズマ』|高橋正朝 #20 続・大夕張つれづれ

松本あきら(零士)の『電光オズマ』|高橋正朝 #20

 松本あきら が若いころ描いたマンガの主人公の少年少女は、眼に特徴があった。  少女マンガの主人公は可愛く描かれ、眼が大きく描かれて、内容もポエムっぽかった。  少年マンガは、SF ものや、戦争ものがわりと多かった。      鹿島中学校2年生のときに、明石町に住んでいた誰かから、少年マンガ雑誌『 …
昭和47年 しめ飾り列車 運んだ、石炭を人を

昭和47年 しめ飾り列車

昭和47年 冬 左手の住宅は、プール裏手の富士見町だろうか?撮影場所は不明。身を乗り出している機関士さんは、撮影者の長谷川少年を見つめているのだろか。 長谷川さんの写真に色付をしたカラー写真 しめ飾り列車 【長谷川 潤一】(1998年11月30日) 「〆飾り」はナンバープレートの下のハンドル部分に、…
この日を迎えると・・ | jun 思い出ばなし

この日を迎えると・・ | jun

 思い出されるのは大夕張に生きていた当時の頃。  しばれたね~  大晦日は家族団欒。  ミカン箱、裸まいり、除夜の鐘。  厳かな雰囲気とウキウキした気分が融け合っていました・・  年が変って元旦の朝。  湯たんぽから洗面器に水を移して顔を洗い、最初は両親に挨拶。  みんなで神棚にご挨拶。  お年玉を…
アオタン |内川准一 随想

アオタン |内川准一

   「千葉県君津市は自分の同期生がいまして、高校卒業以来、約30年同じ職場で勤務しているんですが、この街はカナリ大夕張出身者が多いんじゃないかな?」  ヒロさんの、この文章を読んで、あることを思い出した。  千葉県君津市と東京都の一部では、以前から北海道方言「アオタン」が通用する。と言うこと。  …
昭和42年 裸まいり 安全祈願 風景 街の行事

昭和42年 裸まいり 安全祈願 風景

 大晦日になると、NHKの『ゆくとしくるとし』で荘厳な除夜の音と共にテレビ中継されていたのが、この「裸まいり」でした。  昭和24年から昭和48年の閉山まで続けられました。  大夕張の街が賑やかだった昭和42年の元旦恒例大夕張礦業所の安全祈願裸まいりです。  大夕張神社のお社での奏上風景。  肌も凍…
昭和42年 裸まいり 街の行事

昭和42年 裸まいり

 裸まいりは昭和24年(1949年)に岩手県柴波郡志和町出身の北田三好氏が発起人となり,郷里の裸まいりを参考にして行ったのが始まり。  第一回の裸まいりは郷里の有志(寮生20数名)と「心身鍛錬」「怪我やあやまちがおこらぬよう」「郷里をしのぶ」目的で行った。  後に生協本店が建った場所にあった、明倫寮…
いすゞボンネットバス 大夕張色の情景

いすゞボンネットバス

 2000年頃のチョロQブームの折り、我が家にやってきた『いすゞバス』  昭和31年9月に大夕張の山内を走った2台の『いすゞバス』。  このバスは、三菱バスと同じ塗装色だったという都営バスとして発売されたものを購入した。(あ、三菱バスが都営バスと同じだったということですね)  こちらの配色の方が、『…