1970年

千年町から見た常盤町 思い出の街角

千年町から見た常盤町

  昭和40年代 千年町から足下に見える常盤町の風景。 正面に鹿島中学校の校舎。   左下の暁橋から鹿島中学校への通学路がまっすぐに伸びる。 道の先の緑のこんもりとしたところが、詰所や白樺の並木があったところだろう。 この道は、『中学校行き』の山内バスが通る外周の道を横切り、朝夕の通学時、多くの中学…
春日町 住宅地 思い出の街角

春日町 住宅地

   川に近い低いところにある春日町に行く坂道はいくつもあった。それは、『昭和47年春日町航空写真』でもみることができる。    崖の上にあった購買会のあたりから右にいくと、急斜面を直下に下る細い道と、やや車も通れる広めの道路があった。  写真は、その広めの道の途中から見た、春日町の詰所より南側の住…
礦業所プール(栄町) 思い出の街角

礦業所プール(栄町)

水の抜かれた誰もいないプール。 大人用プールの向こうに子供用プールがあった。 道路をはさんで栄町アパートが建ち並ぶ。     7月から8月にかけて、夏のにぎわいはふた月もあっただろうか。    お盆を過ぎるころから風が寒く感じるようになり気温も下がる。   そして迎えた秋。     9月頃のプールか…
昭和40年代 協和会館 思い出の街角

昭和40年代 協和会館

 昭和6年に建てられた礦業所の施設、従業員の慰安娯楽にも使用され、昭和15年頃の絵葉書には、『娯楽殿堂』の文字がうたわれる。  昭和32年には大きな改装工事を受けた。閉山近い昭和40年代の協和会館。       昭和15年頃の絵葉書の中の協和会館   https://ooyubari.com/202…
駅前通り 思い出の街角

駅前通り

昭和40年代、大夕張駅前から春日町方面に向かっていく通り。 これまで掲載していた写真と元は同じ写真と思われるが、こちらは昭和48年発行の大夕張炭労「未来に向かって」の中で『大夕張駅前通り』として掲載されていた。ずいぶん色味が異なる。   もうずいぶん前になるが「ふるさと大夕張」の掲示板か、住民登録の…
山神祭 炭砿病院前 街の行事

山神祭 炭砿病院前

病院前の道路も舗装になった昭和40年代のころ。 6月、子ども達の神輿行列が炭鉱病院前を行く。   トラックに積んだ巨大なスピーカーの上、山車には『春日』と書かれており、春日町内会の子どもたちの行列のようだ。   春日町詰所前の広場を出発した神輿をかつぎ、子どもたちが隊列を組んで街中を練り歩く。   …
坂道を春日町から弥生町へ登る山神祭神輿 街の行事

坂道を春日町から弥生町へ登る山神祭神輿

   春日町から弥生町に登ってくる神輿を弥生町の崖の上から撮影した写真。  散歩道の地図と比べてみると、坂のこちら側は、弥生町3丁目。向こう側は、4丁目ということになるのだろうか。  崖の下はすぐ春日町の炭住が建ち並ぶ。  駅前の通りの先を右手に曲がって、弥生町3丁目と4丁目の間をくだっていく坂道、…
駅前 鹿島警察官派出所 思い出の街角

駅前 鹿島警察官派出所

前回の『昭和45年頃 鹿島警察官派出所』は北側から撮影された写真だが、こちらは、南側、消防署の向かいからとられたもの。   広報用の掲示板の隣には、当時夕張市本町にあった『桑島整形外科医院』の広告看板が立つ。   拡大してみて思い出したことがあった。 1階南側の部屋の内側に鉄格子のようなものが見える…
昭和45年頃 鹿島警察官派出所 思い出の街角

昭和45年頃 鹿島警察官派出所

聞くところによると、派出所と交番は同じ意味なんだそうだ。 今の、『派出所=交番』から想起する建物には似つかわしくない大きな建物。   昭和28年以降、夕張警察署の分署、警部派出所だった頃の時代に建てられた建物なのだろう。 所轄(鹿島・南部)の人口2万人以上だった当時、駅前に並んで建っていた消防と共に…
鹿島運動公園 思い出の街角

鹿島運動公園

昭和45年  栄町児童会館隣の公園。 遊具施設の整備工事。 栄町2丁目と3丁目の間の通りから撮影した写真でしょう。 小学校6年生の頃、この通りを何度も通っていた。   富士見町に住んでいた自分が、なぜこの道を通ったのか理由ははっきり思い出せないが、たぶん次の様なことだろうと思う。 その頃、6年竹組は…
開拓 苺畑でいちご狩り 楽しかった日々

開拓 苺畑でいちご狩り

   『ふるさと大夕張(1丁目1番地』に2000年頃掲載した我が家のアルバムからの写真だ。その時も書いたが、この写真を見るといつも思い出すことがある。       昭和45年(1970年)鹿島中学3年の7月、日曜日。  炭砿病院に入院していた父が、久しぶりに家にもどってきていた。  父から、   『…
青函連絡船 船室にて 学び舎の思い出

青函連絡船 船室にて

   親たちの世代は『内地』と呼んでいた本州。  昭和30年代、父の故郷が栃木だったため、5才頃、初めて青函連絡船に乗って本州にいった。  青函トンネルもなく、飛行機も一般的でなかった時代、船に初めて乗った印象は強烈で、甲板から海を見ていると吸い込まれていくような、えもいわれぬ不気味な恐怖のようなも…
昭和40年代 大夕張駅前 思い出の街角

昭和40年代 大夕張駅前

昭和45年(1970年)頃の大夕張駅前。 駅前広場から駅前の商店街を見る風景。 大夕張郵便局の前には、クリーム色のボディと赤い屋根から『丹頂形』と呼ばれた公衆電話ボックスが見られる。 昭和29年(1954年)頃から、日本全国に登場したものだというが、大夕張で見るようになったのは閉山前後のことではなか…
大夕張炭山駅を出発する列車 思い出の街角

大夕張炭山駅を出発する列車

撮影した長谷川さんによると、昭和45年11月だという。 最近は、着色も少しは慣れてきて写真を見返す余裕も出てきたと自分でも思うけど、この時期の大夕張では晩秋、いつ雪がふるかという頃で、緑少し盛りすぎ・・・たか。 『ふるさと大夕張』の最初の頃から掲載させてもらっている写真も、色をつけて気がつくことが多…
明石橋と旭沢橋梁 思い出の街角

明石橋と旭沢橋梁

昭和45年頃  旭沢橋梁に並んで、昭和27年に竣工した千年町と明石町を結ぶ明石橋。    遠くには、常盤町の街が、山の斜面に見える。   白黒写真に着色した画像 旭沢鉄橋  【山下貢】( 2006/10/21(Sat) 12:55)   この鉄橋の名前を初めて知りました。  確か、幼稚園児(S28年…
仮装行列の思い出 |佐藤次男 思い出ばなし

仮装行列の思い出 |佐藤次男

 仮装行列というと鹿島中学校の仮装行列しか記憶になくて、東高のは知りませんでした。   私が、小学生のとき鹿島中学校の仮装行列を見て、早く中学校に入って仮装行列をやってみたいと思ったものです。   昭和45年、念願かなって中学1年生になり、仮装行列の準備を何日も前から行い、ようやく当日がきてみれば、…
鹿島消防署 思い出の街角

鹿島消防署

昭和45年頃(1970年頃) 白黒写真に着色した画像   駅前の鹿島消防庁舎は昭和28年に新築完成した。昭和49年、本部は南部に移転。 【大夕張の消防】 大正5在郷軍人を中心主体に二股,若葉地区に私設消防隊ができる。大正96月 大夕張義勇消防組創立。(二股・六尺・若葉)昭和49月 三菱鉱業大夕張砿業…
主張発表大会 学び舎の思い出

主張発表大会

鹿島中学校『昭和45年度主張発表大会』 昭和46年の卒業アルバムから。 閉山後、鹿島中学校の生徒数減により多くの学校行事がなくなったという。この盛大な主張発表大会もなくなったの行事の一つなのだろうか。   1年生から3年生までの各学級から選ばれた代表が、全校生徒の前で、『私の主張』を行なうという行事…
昭和45年頃 購買会 思い出の街角

昭和45年頃 購買会

昭和45年頃、購買会。陽射しの強い昼さがり。 母が勤めた購買会 【高橋勝美】  栄町ブロックでしたので、買い物は購買会でした!  母が、肉屋-惣菜も売ってました-働いていました。ですから私は鍵っ子でした。小学校の帰り道に時々、母の務め先に顔を出してました。 購買会  【飯田雅人】 大夕張で日常使うも…
岳富町商店街と「しがい」 思い出の街角

岳富町商店街と「しがい」

「しがい」とよんでいた千年町。 その千年町と大夕張駅方面を結ぶ岳富町。昔の人は宝沢と呼んだ。 千年町との往来には、この沢を埋め立てた道を歩いた。 戦後鉄道の築堤沿い建ったバラックの商店は昭和30年代立派な商店街となり、「岳富町」となった。 千年町方面のことを、子どもの頃「しがい」と呼んでいた。 千年…