月: 2022年4月

昭和32年 大夕張駅 見送り風景 思い出の街角

昭和32年 大夕張駅 見送り風景

昭和32年。  4月も中旬の頃だったという。まだ肌寒い日が多く、服装にも冬の名残りが感じられる。 この中に鹿島小学校から富野小に転勤になる祖父もいるが、大夕張の外にでる交通機関は鉄道しかなかった時代、転出する人が多かったことだろう。 大夕張駅ホームの駅名標付近に集まるあふれるばかりの見送りの人々。 …
番外編••••••密かにささやかれるパリの3悪 その3|高橋正朝 #86 続・大夕張つれづれ

番外編••••••密かにささやかれるパリの3悪 その3|高橋正朝 #86

   前回、# 85 のアタマで書いたことだが、密かにささやかれるパリの3悪の、その1については、行政機関そのものであり、他の2つは、形式的には民間企業であるが、いずれも設立にあたっては、行政が主導的な役割りをした企業である。      しつこく、〘 密かにささやかれるパリの3悪 〙と呼ばれるものを…
大夕張劇場 映画の看板 思い出の街角

大夕張劇場 映画の看板

千年町大夕張劇場。右手が千年町駅、左手が鹿島東小学校方向。 ずらりと映画の看板が入り口の上に多数貼りだされている。 左から写真を拡大しながら、映画のタイトルを読んで行くことにしよう。 『遥かなる男』 〇七〇〇笠のような字が見える。絵は時代劇のようだが、わからない。 『雨情』 『土俵物語』 『水戸黄門…
春は線路からやってくる 2丁目3番地

春は線路からやってくる

私の住む札幌もようやく雪がとけ、春の訪れを感じさせます。 そんな時期になると、いつも思い出す、忘れることのできない詩があります。   大夕張を出てから出会った、言葉に初めて故郷を感じた、詩でもありました。 小学校の国語の教科書にのっていた詩です。   「春」  杉みきこ (加代の四季より)  春は、…
学級写真 学び舎の思い出

学級写真

昭和19年2月生まれの叔母が写っている。 昭和27年、鹿島小学校3年生の学級写真。 場所は、前岳の見え方からすると、鹿島小学校のグラウンドの東端のあたりだろう。   昭和30年10月に宝町・錦町・泉町に住む児童の通学区域が変更になり、当時、宝町に住んでいた叔母も移動し、昭和32年の引越しまで鹿島東小…
三菱大夕張幼稚園 学び舎の思い出

三菱大夕張幼稚園

昭和8年設立。昭和21年、栄町3丁目18番地に移転。 昭和8年4月1日三菱大夕張礦業所が三菱大夕張幼稚園を三菱大夕張病院横に開設。 昭和21年、栄町3丁目18番地に移転。そして、昭和30年代に、健保会館隣に移転した。   私が通った昭和35年、三菱大夕張幼稚園はすでに健保会館の隣にありました。   …
氷点下の炸裂音|仮名13号 思い出ばなし

氷点下の炸裂音|仮名13号

   すっかり真冬、シバレますね。  大夕張に住んでいた頃、1月・2月、寒中の頃   山中から銃声に似た音を耳にしてました。  鹿でも撃ってるのか?   しかし、鹿を撃ち取ったと言う話も聞かない。  何の音かと思いましたら、氷点下30度前後に成ると生木の水分が凍り膨張して、木が裂ける音が、木の炸裂音…
アイスクリーム  | 林 恭子 思い出ばなし

アイスクリーム | 林 恭子

 あれは昭和40年代初めの夏の日だったでしょうか。  大夕張駅前の交差点辺りで、アイスクリームを運んできたトラックが故障して動けなくなりました。   どんどん溶けだすアイスクリームに慌てた運転手さんは、周りにいた人達にアイスクリームを 「食べて!」 と言って、いくつもくれました。    この特別なプ…
鹿島消防署 思い出の街角

鹿島消防署

昭和45年頃(1970年頃) 白黒写真に着色した画像   駅前の鹿島消防庁舎は昭和28年に新築完成した。昭和49年、本部は南部に移転。 【大夕張の消防】 大正5在郷軍人を中心主体に二股,若葉地区に私設消防隊ができる。大正96月 大夕張義勇消防組創立。(二股・六尺・若葉)昭和49月 三菱鉱業大夕張砿業…
ニュース映画 | 准 随想

ニュース映画 | 准

先ほど、札幌駅北口のアングラ劇場「さそり座」で「放射能を浴びたX年後」という映画を見てきた。 1954年以降繰り返されたビキニの核実験と、当時南太平洋各地で操業していて被爆した日本のマグロ漁船の乗組員の現在を訪ねるドキュメントだった。   ビキニと言えば第五福竜丸だけが有名だが、実は500隻もの漁船…
千年町商店街 1997 思い出の街角

千年町商店街 1997

平成9年(1997年)の千年町バス通り。 とはいえ、すでに「中学校行」のバスは走っていない。   場所的には、『昭和49年千年町商店街』と同じあたり。 織田商店、富田商店のあたりから、東小方面をみたところである。   『昭和61年(1986年) 大夕張の面影』では、このあたりの車窓風景がゆっくり流れ…
何年ぶりかしら|高橋真美 思い出ばなし

何年ぶりかしら|高橋真美

今現在私は東京にすんでいます。 生まれてから16年間過ごしてきた鹿島がなくなるなんて、やっぱり悲しいですね。 住んでいたころは、札幌までなんでこんなにかかるの?とか、雑誌もなかなか手にはいらなかったりと、不便な面ばかり見てました。 友達も急激に減っていて、うつりかわりが激しかったですね。 転校生がく…
大夕張駅を出発するNo.6 運んだ、石炭を人を

大夕張駅を出発するNo.6

白煙を上げて大夕張駅を出発するNo.6。 撮影した『海も好き』さんの記憶では、鹿島小学校下の踏切付近から撮影したのではないかという。 右に見えているのは、消防署の建物の裏になり、もう少し手前に火の見櫓が続く。 『No.6』が吐き出す煙とともに、大夕張駅前の背の高いポプラの木が風にそよぐ。 白黒写真に…
番外編••••••密かにささやかれるパリの3悪 その2|高橋正朝 #85 続・大夕張つれづれ

番外編••••••密かにささやかれるパリの3悪 その2|高橋正朝 #85

前回、# 84 で、密かにささやかれるパリの3悪と書いたが、その1については、行政機関そのものであり、他の2つは、形式的には民間企業であるが、いずれも設立にあたっては、行政が主導的な役割りをした企業である。     再度、〘 密かにささやかれるパリの3悪 〙と呼ばれるものを列挙する。     その1…
夕張岳 2022 訪問記

夕張岳 2022

2022年3月10日大夕張行。 南部からのトンネルに入って、出口の明かりを目指し「トンネルを抜けると~」の期待と不安。 GoogleMapのストリートビューでは、何度も走っているのに笑。 目にしたのは絵になる圧倒的な夕張岳。近い、近すぎる。 トンネルを出て直ぐの「明石橋」。   短い「明石橋」の次に…
主張発表大会 学び舎の思い出

主張発表大会

鹿島中学校『昭和45年度主張発表大会』 昭和46年の卒業アルバムから。 閉山後、鹿島中学校の生徒数減により多くの学校行事がなくなったという。この盛大な主張発表大会もなくなったの行事の一つなのだろうか。   1年生から3年生までの各学級から選ばれた代表が、全校生徒の前で、『私の主張』を行なうという行事…
ゆめまぼろし 訪問記

ゆめまぼろし

2022年3月10日。 南部から大夕張に向かい、ここまでくるともう湖の雪原は見えない。 ナビは、北栄町を示していた。「このへんが鉱業所のあったあたりかな」と漠然と思いながら写真をとった。 ここにあった町でおこった様々な出来事を思い起こし想像するには、あまりに静かで何もないただの雪の原。   あとで、…