随想 私の恩人2 |久々湊真一 三菱大夕張病院の鈴木昭先生を知ったのは、私が鹿島中3年の時でした。 この時に、病弱であった母が急に体調を崩し、入院かつ危篤状態になったのです。 当時内科部長であった鈴木昭先生が、 「この注射で大丈夫でしょう」 と言われて処置。 しばらく時間が経過した後に、母の顔に赤みが戻ってきました。 … 続きを読む
随想 大夕張へい山反対!|市橋勝 私が鹿島東小学校の5、6年生の担任の先生は水間テル先生でした。 優しく肝っ玉母さんのような「豪快さ」で、悪ガキだった私を見守っていてくれたことを思い出します。 当時、水間先生はクラスの私達に定期的に日記を書かせ、それを提出させていました。 しかも、丁寧なコメントを添えて毎回返却してくれ… 続きを読む
随想 私の恩人 | 久々湊真一 私の乳幼児時代は、「死んでもおかしくない」虚弱体質だったそうです。 当時の写真をみると、首に真綿を巻いているものが多く、何やら情けなくなります。 小児喘息も持っていて、呼吸が苦しかったことを、朧げに記憶しています。 幼稚園には、 「身体が弱すぎて預かりかねます」 と入園を拒否されました。… 続きを読む
随想 カメムシの富士見町 | 對馬良一 大夕張栄町で生まれ、代々木町、春日町、最後は富士見町で生活した、昭和10年生まれの男です。 現在、群馬県館林市に住んでいます。 近所に春日町にいた、和田力雄さんが住んでおります。 今年(2003年)10月18日に虎ノ門で東京夕張会、11月1日上野精養軒で大夕張会が開催されます。 又… 続きを読む
随想 蛍 |佐々木 先日、私の住んでいる岡崎市(愛知県)の「鳥川」という所に蛍を見に行きました。 今愛知県は梅雨の真っ最中ですが、そんな梅雨の晴れ間を見て、毎年子供を連れて、蛍見物に行きます。 確か、私が5~6歳頃に、当時の明石町で、蛍を見た記憶があります。 私が蛍を見たのは、その時が初めてでして、何かすごく感動した様… 続きを読む
随想 これからも |エヌ 東京へ出て来て30余年。 辛いことがあると思い出してしまう 故郷大夕張です。 若い頃は、昔のことは忘れて頑張るんだ、と思っていました。 しかし、50歳に近づき始めた頃からか、自分にとって故郷大夕張は、忘れられないところなんだと、気付き始めています。 仕事もきつく、羽田から千歳へ、そして大夕張… 続きを読む
随想 救急車の山口さん|愛知県安城市 H.K 父の遺品に少しずつ目を通しては整理し、大夕張を偲んでおります。 自分が赤ん坊の頃、父が鑑札(ナンバープレート)の付いた自転車に乗せられている写真や、虫垂炎で炭鉱病院へ行く時は、正月の大吹雪の中を、父がソリに乗せて引っ張って行ってくれたのを思い出したりしていました。 当時は盲腸になっても、生きる… 続きを読む
随想 春とどろんこ道 | ziny 春 さくら咲く ふるさとはたしか ぬかる道 私の記憶では、初めて詰襟(学生服)を着て、学生帽子をかぶって、今年80になるお袋が仕事を休んで、鹿島中学の入学式にいっしょに出かけてくれた。 昭和38年のときの今頃は、道がぬかるんでいて、つり橋(暁橋)を渡るために、千年町から降りる坂が、… 続きを読む
随想 何もなくなった故郷|石黒静治 私は昭和18年生まれ。 鹿島小から鹿島東小に三年生の時に転校し、常盤町5丁目6番地で過ごし、鹿島中学校を卒業するまで居ました。 それからは、ずーと関西にいまして、このたび45年ぶりにこの鹿島地区を訪ねましたが、なにもない故郷に愕然とし悲しく、寂しく、1日中、旧鹿島小跡に、座りこんでいま… 続きを読む
随想 チャンピオンになった少年との黒帯の約束|小野美音子 昭和39年(1964年)東京オリンピックが終わり、しばらくしてからの事でした。 父宛てに、青いインクで丁寧に書かれた、葉書が届きました。 父はその差出人である笹原富美雄五段を小学生の時に、柔道を教えた事があり、いつか強くなったら父の黒帯をあげると約束したというのです。 私はその時、父が柔… 続きを読む
随想 心に残る故郷”大夕張” | 阿久津 誠 私は、東校5期生ですが純粋な大夕張の出身では有りません。 母方(故人)の実家が栄町(だったと記憶しています)でしたので、亡くなった小学校4年生の年までは、お盆・正月等何かにつけて良く行ったものです。 栄町商店街、代々木のアパート群、プール、教会、スキー場等々・・・頭の記憶に残る場所は、結構有… 続きを読む
随想 昭和35年鹿島小学校3年生 見学旅行 |奥山道紀 昭和36年7月13日【北海道新聞・夕張版】 『みんなで旅行うれしいな 鹿島小三年生模擬坑など見学』 今月は市内小、中学校の修学旅行・見学旅行の最盛期。 鹿島小学校の三年生も十一日、夕張市内や栗山方面の見学旅行を行った。 昨年は小児マヒの流行でどこへも出かけられなかったこどもたちにとって、… 続きを読む
随想 ふるさとの匂い |久々湊真一 匂いというものは、記憶と深く結びついている。 昨年の5月に大夕張に行った時である。 僕の顔を撫ぜている風の匂いに、なぜか立ち止まって、懐かしさで胸が一杯になった。 大夕張の乾いた空気の匂い。 まだ肌寒いけれど、確実に春がやってくる花々の匂い。 それらが、どっとやってきて、僕は立っ… 続きを読む
随想 なつかしいです|高橋博美 私は昭和30年生まれで高校1年の時、美唄から栄町に越してきました。 夕張工業の機械課を昭和48年に卒業しました。 以前、小林俊二が出てたのでなつかしく思いました。 思い出は神社の上でシンナー吸ったり、もう時効ですので言いますが、お金なかったんで夜、ガソリンを抜いたりとか、色々バイクでやかましくして… 続きを読む