随想 ペナン島の大夕張出身者|泊川俊徳 昨年暮れに、スマトラ地震での津波でタイ近隣の島々が多大な被害があり、死者10万とも言われています。 昭和61年か、62年か、どちらの年だったか、夏の頃、鹿島小学校校庭で、二人の多分、65歳は過ぎていたと思われる 女性二人に話し掛けられました。 「終戦後、間もなく大夕張からペナン島に移住し暮らしていま… 続きを読む
随想 たつみのひろちゃんへ|大夕張寅次郎 幼き記憶の大夕張の三浦浩信さま 「たつみ」は岳富町にあったように記憶しています。 叔母さんの山田久美子さんは、東高の2期生でバレー部で活躍されていました。 とても元気で溌剌とした高校生時代のお姿を思い出しますが・・残念です。 ご冥福をお祈り致します。 叔父さんは、東高で事務のお仕事… 続きを読む
随想 トタン板 | ふじみちょう 夕張岳 35年ぶりに尋ねた「大夕張」 あの頃の町並みも目印になる建物もすっかり無くなっていた。 わずかに探し出せたものは、電柱、街路灯、側溝の石垣、U字溝、屋根に使用していたトタン板、錆びて朽ち果てた鉄棒とブランコ・・・。 あまりの変りように言葉を失ったのだが、我が故郷は心静かに迎え… 続きを読む
随想 関西から スキーのはなし | 近藤志津枝 寒い日が続いていますね。 北海道はいつも雪だるまマークですね。 今年は各地、大雪被害も多大でお気の毒です。 大通り公園の雪像を できあがる様子をインターネットで見ています。 (観光客気分ですみません) スキーのはなし。 3才でスキーをはきました。みなさんこれぐらいですよね。 富士見町ゲレ… 続きを読む
随想 明石町に住んでいました | 菅野彰彦 当時は小学校の低学年で、3年を終えると釧路に越しました。 線路づたいに千歳や大夕張まで歩いていったこともよくありました。 明石町の鉄橋の近くにあった古い駅舎は秘密基地でした。 明石町に住んでいたころは、夕張がとても都会に思えていて、それも懐かしいですね。 不思議と寂しいという気はしな… 続きを読む
随想 夕張東高校野球部地区予選の記録|夕張しみん ベースボールマガジン社から「にっぽんの高校野球 VOL12北海道編」が出版されました。 北海道の高校野球ファン待望の北海道編です。 大正4年に始まった『全国高校野球選手権大会』(当時は中等野球大会)の道内の参加校352校の地区予選の戦績が載っています。 夕張東高校は、昭和38年から47… 続きを読む
随想 白金のおじいちゃんの家 | 孫娘 鹿島白金におじいちゃんが住んでいたので、遊びに行って五右衛門風呂に入ったり、家の後ろに作った土のレース場(?)みたいな所におにぃちゃん達が走りに来ていたのを思い出します。 おじいちゃんが亡くなってしまったので、遠退いていましたが、数年前、まだ少し人が住んでいる時にバイクで行きました。 … 続きを読む
随想 願正寺のどんぐりの木|信子 半年ほど前、仮性近視について調べていたらこちらのホームページに遭遇しました 故郷がインターネット上でも間違いなく現存していたとは!心から感謝します。 私は、昭和24年生まれで、東小学校梅組信田(宍戸)律先生、中学では白田良夫先生、東高校では考古学クラブでした。 ふるさと鹿島ウイルスに、18… 続きを読む
随想 天の川 | ぽち 鹿島にいたとき、芦別にいたとき。 夜におつかいに行ったときに、夜空には、いつも満天の星が天にきらめき、天の川があたりまえのように見えた。 でも、私はもう何十年も天の川を見ていない。 今は単身赴任で群馬県伊勢崎にいるが、やっぱり見えない。 毎日の犬の散歩のときにいつも空を見上げるが、やっ… 続きを読む
随想 鹿島中学の坊主頭 |飯田雅人 『野球あそび』の写真を見ていて思い出したのですが、写っている中学生らしき姿は、皆丸坊主刈りです。 私は昭和43年鹿島中学に入学しましたが、その2,3年前まで、男子は中学校に入ると髪の毛を丸刈りにして坊主頭にしなければならないきまりがあったように思います。 小学校高学年の頃、 『中学校に入るのは… 続きを読む
随想 堀田さんの牛乳の味 |阿部達也 堀田さんの牛乳の味、一生忘れられません。 何故?ってかい! 大夕張の天然の自然の草を食べてる乳牛から牛乳を生産していたからなんですよ! 我が家は、月極めの宅配牛乳を頂いてましたが、紙のフタを開けると、美味しい脂肪が紙のフタについてまして、僕が舌で舐めてから美味しく頂きました。 かなり濃厚でした。 堀… 続きを読む
随想 メタノール工場 |中山隆一 思い出帖の写真のことで思い出した... 私、春日町の出身でしたので、他の街はあまりクリックしていませんでした。 ところが、先日富士見町に住んでいた小溝さんが、我が町に帰ってこられてお食事をした関係で、富士見町をのぞいていたら、なんと新しくメタノール工場の写真があり感激しました。 昭和40年頃… 続きを読む
随想 謹賀新年 『ふるさと大夕張』様|二木晃 明けましておめでとうございます。ただいま午前三時。 地元の神社の総代を務めさせていただいていますので、参拝者の接待に追われ、元旦はいつも、この時間になってしまいます。 昨年は、忙しいなりに頑張って暇をつくり、十数年ぶりに友人たちに年賀状を書くこともでき、まずまず充実した一年でした。 そして… 続きを読む
随想 ミカン箱のそり | 内川准一 みかんの箱のふたを取ると、下から現れる絵柄のセロファン。 産地によって、いろいろと趣向を凝らしたみかんの絵だったり、凝った模様がセロファンの縁を飾っていたりしたものでした。 きれいなものは、南国に思いをはせながら、集めましたよね。 そして、箱の方は、最後には手作り「そり」になったもので… 続きを読む