随想

いまでも今日のことのように思い出せる。あの日、あの時の出来事。 今日につながる昔のこと・・・。

心根地 第三章 夕張岳より|今井一郎 随想

心根地 第三章 夕張岳より|今井一郎

 彼が、南部に移り住んでから一年になろうとした頃、南部のヤマ元で事件が起こった。  昭和六十年六月五日午後三時四十分頃。三菱南大夕張砿南一卸七方付近で起こったガス突出事故が発端であった。そのガス突出事故に坑内火災が加わった。  炭砿の坑道は地下に網の目の如く掘られている。そして、坑道一本一本に名称が…
炭坑町の記憶 と 怪獣映画|菅井宏史 随想

炭坑町の記憶 と 怪獣映画|菅井宏史

 私が大夕張にいたのは小学校4年までですから、その記憶も当然のことながら子供のそれでしかありません。友達の誰々ちゃんと遊んだ、幼稚園ではどうだった、小学校はではこうだった、などなど・・。途方もなく広く感じられたあの鹿島小学校のグランド、あの目線の低さが私の大夕張の記憶の全てなのです。  中学、或いは…
川と自然について|今井一郎 随想

川と自然について|今井一郎

 本日、夕方よりSTVテレビにて、岡崎文吉氏の川の番組を拝見しまして、最近のSTVは、この様なドキュメンタリー番組の作り方が上手くなったなあと思いました。  『山史(三菱大夕張鉄道58年史)』を読んで来ると、土砂崩れ、橋梁流出など自然を相手に戦ってきた歴史を垣間見る事ができますが、不図、これで良かっ…
心の原風景|菅井宏史 随想

心の原風景|菅井宏史

 坂道、それも急で長い坂道を登っていると、ふと心が回りの景色から離れ、小さい頃、息を切らせてよく登っていた坂道のことなどが、心に浮かんでくることが、以前から度々ありました。  大夕張の坂道、「そういえばあの頃の生活には、いつも坂道があったなあ」と。  生まれたのが、常盤町の一番山手にある住宅でした。…
久遠の故郷大夕張|対馬良一 随想

久遠の故郷大夕張|対馬良一

  今年は各地で雪が多く大変ですね。  子供の頃の大夕張も雪が多く、玄関入口まで雪で窓から出入りした思い出があります。  春先、雪がとけだすと、融けた水が玄関に入り、玄関の戸が凍りつき、お湯をかけなければ開けられなかった事もありました。  ハーモニカ長屋の共同トイレも寒く遠く、冬のトイレは嫌でした。…
『東京家族』、そして『あの橋の畔(たもと)で』|ziny 随想

『東京家族』、そして『あの橋の畔(たもと)で』|ziny

 またまた当選して、今、うわさの「東京家族」の特別試写会へ行ってきました。  弟が生まれた昭和28年につくられた小津安二郎監督の「東京物語」の現代版です。  スカイツリーや、横浜の観覧車も登場します。故郷から遠く離れた東京で暮らす子供たちを老親が訪ねるお話。  ふるさとを離れて、それぞれの生活リズム…
夕張奥のトムンチ・コタン|准 随想

夕張奥のトムンチ・コタン|准

「夕張の奥にトムンチ・コタンというところがあり、ここには性の悪い熊でも獺(かわうそ)でも貉(むじな)でも蜂でも、この世の中であらゆる悪いことをした者を集めて置くところがあると伝えられている(名寄市:北風磯吉老伝)。」     *  *  *  雨天と低温続きの大型連休でしたが、明日で終わります。  …
YS11の町にて思う|柳川 傑 随想

YS11の町にて思う|柳川 傑

 昭和37年(当時小5年)に、春日町から現在の愛知県三好町に家族そろって転居して来ました。  親父(故人)が、当時、大夕張炭鉱の労務の仕事をしていて、炭鉱離職者を引き連れ、農村地帯だった三好町が、工場誘致条例の第1号として誘致した、三菱の「YS11」プロペラ機の部品工場であった「三和金属」に転職して…
窓が埋まったときは!|内川准一 随想

窓が埋まったときは!|内川准一

 一昨日。我が家に1本の電話。電話の主は亡・父親宅の隣家。  「あの~○○ですけど~」、妻「何かありましたァ?」、隣人「屋根から雪が落ちて家の壁に当たったんですけど、みてもらいたいんですけど・・」、妻「分かりました、帰ってきたら夫に電話させますから。」、隣人「なるべく早くお願いします。」プツン。  …
文集『ヤマの子』|高橋 歌子 随想

文集『ヤマの子』|高橋 歌子

 昨日、実家の押入れを整理していましたら、東小学校時代の卒業文集と「ヤマの子」と題する文集が三冊出てきました。  これは小学5~6年に担任だった吉田要作先生がまとめたものです。  B4判の茶色の紙にガリ版で印刷され、まるで活字を使ったかのようにきれいで丁寧な字で埋められています。  「ヤマの子」は夏…
惜別の町 | 小倉芳子 随想

惜別の町 | 小倉芳子

 「大夕張にお別れをしに行って来たの」と突然友人からの電話。  夜になっても変わらない暑さに、だらりとしていた全身の神経が一瞬引きしまり、私も行きたい!と思 わず心の中で叫んだ。  九ヶ月の長男を抱いて私たちが彼の地へ足を踏み入れたのは昭和29年8月だっ た。  東北本線、青函連絡船、函館本線、室蘭…