随想 父の事故 |内川准一 昭和35年の夏のこと、採炭夫の父は2度目の事故にあった。 大夕張の夏祭りの夜のことだった。 代々木町のアパートの間に架けられた巨大スクリーンで、屋外映画を見ていた私と妹は、会場内放送で呼び出された。 何故呼ばれたのかは、炭鉱の子供にはわかる。 詰所の人が、 「お父さんが(発破)事故… 続きを読む
随想 母の大夕張への思い|二木 晃 私の母は、当時、炭砿病院の隣にあった「家政塾」の和裁と料理の先生をしていました。 平成十二年に、名古屋のわが家で亡くなりましたが、時折、大夕張の生活を懐かしみ、短歌に記しておったようです。 先日、遺品を整理していたところ、大夕張への思いをつづった短歌数編が出てきましたので、拙いものですが、供養… 続きを読む
随想 MY HOME TOWN | J 最近、時折聴く曲に、福山雅治さんの「18(エイティーン)」があります。 「MY HOME TOWN」の曲を、いつか歌いたいと思っていながら、若い時期のこれまでは歌えなかった曲とのことです。 聴くたびに、若いときの思い出と、ほろ苦さと、ふるさと大夕張が、思い出されます。 宣伝ではありませ… 続きを読む
随想 大夕張を訪ねて|森雄司 三重県生まれで、三重県育ちの僕が、大夕張を訪ねたのは、9月中旬で偶然の出来事でした。 僕と妻は、「幸せの黄色いハンカチ」のファンで、そのロケ地を訪ねた後、富良野に向かい国道452号線を走っていました。 除雪車のような機関車が置いてある所を少し走ると、人気の無い町があり、カーナビはそこが鹿島であ… 続きを読む
随想 八百五十の歌詞など | 早坂治敏 前回の投稿から6ヶ月ぶりに投稿します。 この間、転勤やらで、ご無沙汰しました。 現在は富山に在住です。 転勤してから、立山連峰の山々に登っております。 浄土山、雄山、大汝山、真砂岳、別山、剣岳等々です。 夕張岳には昭和37年に登っています。 同じく八百五十にも昭和37年の… 続きを読む
随想 タイムカプセル | 石原賢治 最近テレビ番組で、10年前ですとか、もっと昔の子供の頃、学校でタイムカプセルを埋めてそれを再び掘り出す様子を見ます。 大人になったらこうなりたいとか、当時の絵だとか、作文なんかが入っていて、見ているほうがほほえましくなったり、目がウルウルになったりします。 私の記憶違いかもしれませんが、鹿島… 続きを読む
随想 At Seventeen|宇良田彰 大夕張出身の団塊の世代の皆さん! お元気ですか? 世の中不景気ですが頑張ってください。暗い話題が多い今日この頃ですが、多感な頃を大夕張で過ごした同郷の仲間には頑張ってほしいと思う今日この頃です。 17才の頃、大夕張の地でそれぞれの青春を過ごした仲間にジャニス・イアンの「At Seven… 続きを読む
随想 鹿島小学校39期卒業生(菊組)|小林俊治 私は、鹿島小39期生です。昭和42年卒業です。 当時、春日町45番地にいました。(詰所のそば) 担任は、久々湊先生でした。 私事で恐縮ですが、わんぱくであったため、よくゲンコツされました。 父親のようなどっしりとした存在感のある先生でした。 冬の昼休み、教室の窓から、外に積もった… 続きを読む
随想 訪れてみたい|野崎昭雄 私は、昭和26年4月から昭和33年3月まで、小学校2年生から中学校1年生までを鹿島小学校、鹿島中学校で学び過ごしました。 住んでいたところは、春日町、富士見町、千歳町、そして緑ヶ丘(小学校の上)でした。 思い出深い街です。 小学校には小熊先生、林先生、尾崎先生、熊谷先生と特色ある先生が、教鞭… 続きを読む
随想 名古屋から愛をこめて |二木 晃 昭和十三年生まれ、鹿島中学校卒七期生です。 パソコンをいじっていて、傲然、大夕張のホームページを見つけました。本当に懐かしく、ドキドキしながら、すべてのコーナーを拝見しましたが、皆さん、若い方ばかりの投稿で、ちょっと寂しい気がしないでもありません。 六十歳を過ぎたものには、パソコンはむりなので… 続きを読む
随想 坂本弁護士の奥様について|乗田功一 オウム事件で坂本弁護士一家が犠牲となるという忌まわしい事件からちょうど9年ということですが、弁護士の瀧澤秀俊さんが、この事件をテーマにしたHPを立ちあげています。 坂本弁護士一家殺害事件 5年10ヶ月の軌跡 (dti.ne.jp) その中で「都子さんへの追悼文集」というページに、18年前… 続きを読む
随想 北海道言葉と食べ方の話題|佐々木洋子 私の住んでいる君津には、たくさんの大夕張出身者がいると思います。 引っ越しした当時は、同じ団地に住んでいました。 皆 家を建ててバラバラですけど・・・ さて、北海道方言と言えばたくさんありますが『うるかす』(つける・ひたす)は、標準語だと思っていました。 10数年前に、千葉県人に指… 続きを読む
随想 故郷大夕張 |西村武博 1998年の夏 私は、道内なのでこの夏に暇がある時に何度か大夕張へ足を運びました。行く度に感じたことは、懐かしいという感情と、寂しいという感情の入り交じったものです。 大袈裟に言うと、ここでの生活は何だったのだろうかと考えてしまいます。 冬は極度に寒くどっさり降る雪。 家の裏側は、除雪を… 続きを読む
随想 故郷との邂逅 | 野口美代子 先週の13日、会社の昼休みにインターネットで遊んでいましたら、偶然、ここを拝見させていただきました。 昭和24年大夕張栄町生まれ、鹿島小学校・鹿島中学校・夕張東高4期卒業、そして上京。 閉山の昭和48年まで両親は栄町に住んでいました。 私は、昭和43年に夕張東高校を卒業して上京、そのまま東… 続きを読む