随想 私の故郷遺産 | 松崎百合 何もかもが、ダムの下。 地図から消えようとしている私の故郷大夕張。 でも、私には、大事な、大切な、心の中に大夕張遺産があります。 炭鉱が、閉鎖になる少し前に、私は内地へ転校しました。 大夕張駅。 蛍の光の曲に送られ・・・。 母は近所のおばさんたちと… 続きを読む
随想 大夕張のパン屋さん |田鎖加代子 私は最近パン作りにはまっています。 先日もパンを焼きながら、宝町にあったパン屋さんを、思い出していました。 確か東小の一年の時、社会科の勉強で、パンを作る様子を見学に行った事があります。 そのパン屋さんの名は忘れていましたが、このHPで『とら屋さん』だと分かりました。 きっと学校給食のパンも… 続きを読む
随想 想い出抱きしめて♪| 鈴 (Rei) 私の曲を聞いて大夕張を懐かしく、そして思い出の場所として、永遠に心に残っていただければとても嬉しく思っています。 これからも頑張って良い歌を作って行きたいと思っていますので応援よろしくお願いします。 大夕張を想って作った曲がyoutubeで聞けるようになりました。 画像は全てが大夕張とは限り… 続きを読む
随想 凍った石炭と雪鳴りの記憶 | 宇良田 彰 私の小学校時代(昭和30年代)、何故か1トン5円の石炭が、馬車で運ばれてきました。 真冬の寒い日は、その石炭が凍り付いて、鶴嘴で砕いて、家の中に運び込む仕事をしたことを、懐かしく思い出します。 フジキ式のストーブも、懐かしく思い出されます。 今は暖かい土地で生活して居ますが、厳寒の時期に、長… 続きを読む
随想 グズベリ!|内川准一 子供の頃、食べるものがないわけでもないのに、弥生町、我が家の前の長屋(12舎)のグスベリをよく失敬しました。 トゲで血がにじんでも、お構いなしでした。 ジジィにときどき怒鳴られたけど、それが楽しみなのでした。 子供の頃、何も食べるものが無い時、家の前の垣根になっていたグスベリは… 続きを読む
随想 「 夕張川から」 |ziny 皆さまおばんです。東京大夕張会は予定通り参加でき、懐かしの皆さんと秋の楽しいひと時を過ごすことができました。ありがとうございました。 話は変わりますが、紅白歌合戦の出場者が発表され、最近の歌番組で人気の「山内惠介」さんが初出場となりました。15周年記念で、今年2月からスッポットライトシリーズが出てま… 続きを読む
随想 SL冬の湿原号 ’01 |飯田雅人 2001年1月。釧路に行きました。SL『冬の湿原号』に乗ってきました。 午前11:08 釧路駅発。 釧路湿原の中に丹頂鶴を見ながら、蒸気機関車C11にひかれた観光列車が標茶へと走ります。 それは遠い記憶を呼び起こす、懐かしさに出会う旅でした。 発車とともに、「ガタン」と一揺れ。 最初… 続きを読む
随想 「奥鹿島分校の歌」の作詩者|浅野岳男 「奥鹿島分校の歌」の作詩者浅野明信氏について。 奥鹿島分校の歌、作詞は次兄浅野明信です。 この度、曲に耳を傾けながら、在り日しの次兄に想いを巡らし、作詞に目を通しました。 奥鹿島分校の歌 奥鹿島分校の歌 (浅野明信 作) (一) まばゆく 朝日を あびている 夕張岳の 山すそで 元気に育… 続きを読む
随想 小生の家の小さい果樹園 |ノリ 佐々木 小生、大夕張の思い出のカリンズ・グズベリ、グミ等の果樹を、小さな庭に植えて、当時を懐かしんでおります。 霜が降りたら「コクワの実」が丁度、美味しく、良く近所の悪ガキと一緒に、便所場球場の山に、収穫に行きました。 他に、山葡萄、胡桃等も取りましたね。 内緒ですが(時効?)、弥生町の端の坂道の下… 続きを読む
随想 夕張市の鹿島とは|あさのたけお 12月24日21時に、関東地方のテレビ局「テレビ朝日」で、映画「北の零年」が放映されるようです。 物語は、明治維新に生きた先人の、大切な歴史上の物語です。 しかし、大夕張住人にとって懐かしい場面が、蘇ることでしょう。途中に夕張岳が映像画面に出てきます。 葬式場面は、冬の凍ったシューパロ湖にて… 続きを読む
随想 鹿島小学校の応援歌|内川准一 以前から思っていた応援歌の疑問が解けました。 鹿島小学校の応援歌は二つあります。 昭和36年の文集 「松風」 を見ますと、「運動会が6月4日に決まった。」とあり、続けてクラス担任が、 「歌詞が難しすぎて、意味が分からず、練習が前に進まない。」 と嘆いているのが笑えます。 以下はその応援歌… 続きを読む
随想 1978年・大夕張・再会 |斎藤敏幸 私は、閉山の前年に当たる1972年3月に夕張東高を卒業しました。 閉山後両親は、函館に居を構えました。 そのためか、大夕張に帰る機会もなく数年が過ぎてしまいました。 大夕張と再会できたのは、1978年の7月でした。 当時私は、釧路に住んでいましたが、職場の研修で札幌に出た時、帰ることができ… 続きを読む
随想 トルコ | 古山園美 10年前、初めてトルコに行きました。 かの有名なカッパドキアにある町に行った時、『大夕張の匂い』を感じました。 それは、街じゅうでたく、石炭のにおいだったのです。 そして、うす紫色の石炭の煙の中に沈んでいるような、夕暮れの町は、まるで大夕張でした。 そして、去年の夏、『20世紀最後の皆… 続きを読む
随想 アオタン |内川准一 「千葉県君津市は自分の同期生がいまして、高校卒業以来、約30年同じ職場で勤務しているんですが、この街はカナリ大夕張出身者が多いんじゃないかな?」 ヒロさんの、この文章を読んで、あることを思い出した。 千葉県君津市と東京都の一部では、以前から北海道方言「アオタン」が通用する。と言うこと。 … 続きを読む
随想 河村先生 |千古のみどり 学校でお世話になった先生は、沢山いらっしゃいます。 覚えていますか… 鹿島小学校の上の、小高い丘の上にあった『大夕張カトリック教会』を? 『人は何のために生まれ…そして死ぬのだろう…』 あそこへ行ったら、教えてくれるかも知れない… そんな思いで教会の門を叩いたのは、私が小学生の頃でした。… 続きを読む
随想 鹿島の太陽|ziny 「黒部の太陽」を観てきました。 「裕次郎の夢」全国縦断チャリティ上映会、に当選して、さいたま文化センターまで出かけてきました。 会場はびっしり満員で、ざっと数えて千五~六百人もいたでしょうか。 私より先輩が多数と、感じましたが。・・・ 44年振りの完全公開だそうです。スクリーンの中の、今は亡き… 続きを読む
随想 クリスマスの記憶 |野口美代子 小学生か中学生か定かではない記憶の一葉に、クリスマスイブに、河村先生(聖心幼稚園)に連れられて、大夕張炭砿病院の廊下で、クリスマスソングを何曲か歌いました。 静かな入院病棟に美しい(?)歌声を響かせたことがありましたっけ。 聞いた人達の感想は聞けませんでしたが。 その炭鉱病院に作家の渡辺淳一… 続きを読む
随想 新型車 |内川准一 スバルから新型の軽自動車が出た。 興味があったので、カタログをもらってきた。 長さ3.2m、幅1.5弱、車輪の間は2.2mの小さな車だ。 小さな車が好きなので、すっかり気に入ってしまった。 夫婦2人になったらこんなのでもいいかな?(買わないけど・・) 昔、スバル360という車があった。 … 続きを読む
随想 1970年のころ | 宇良田 彰 1970年(昭和45年)は、世田谷の下北沢にいました。 札幌から東京に移り、一種のカルチャーショックを受けていた時代でした。 目的が定まらず、単位を取るために学校に通う毎日でした。 目的が定まっていないということは、色々なことに手を出しては火傷をし、熱いと感じて手を元に戻すことに似ています。… 続きを読む
随想 ポリオ(小児マヒ)の流行 |准 1959年に指定伝染病に指定されたポリオ(小児マヒ)は、翌1960年からは、さらに勢いを増し、全国で猛威を振るった。 北海道では5月に、夕張地区(大夕張)で大流行し、全道に広がって106名の死者を出した。 自衛隊によるDDTや石灰の散布は行なわれたが、道内45万人の幼児に対しワクチンは3万人分し… 続きを読む