思い出ばなし

むかあ~し、むかあ~し、ちょっとむかし、こんなこともありましたとさ。
子どもの頃に返って、思い出してみました。

大夕張の雪祭り | Toshinori 思い出ばなし

大夕張の雪祭り | Toshinori

 雪まつりと言えば、今や札幌の代名詞ですが、大夕張でも雪祭りがありました。 鹿島小学校の校庭で雪像を作っていました。    昭和35年前後が、一番盛んだったようです。     栄町が住んでいた人たちも多いので、雪像を二基作っていました。     栄町の雪像はけっこう大きかった事を覚えていますが、昭和…
物置の記憶 | Y・I 思い出ばなし

物置の記憶 | Y・I

  代々木町の長屋の一番端っこの家のすぐ横に、石炭だったり、スコップがあったりした物置がありました。 古い作りのカビ臭い物置でした。    スコップや工具があり、時々、宝物探しにゴソゴソ探っていました。  明かりとりの窓もキチンとありました。      あるとき、そこに『アオダイショウ』がでました。…
がんがんに入った正月のもち |内川准一 思い出ばなし

がんがんに入った正月のもち |内川准一

  「がんがん」   飯田さんの『正月の餅』の中に出てくる「がんがん」で、くっきりと思い出しました。       正月のもちの入れ物、蓋付き一斗缶、お菓子入れの「がんがん」  なつかしや、我が家でも確かに使っていました。  切り餅は、鏡餅やあんころもちとは別に、のした後、なるべくおなじ大きさになるよ…
雪祭り|丸山直記 思い出ばなし

雪祭り|丸山直記

 東高3年の冬、クラスで高校生活最後の思い出にと校庭で雪像を造りました。  受験を控えて大丈夫かなぁと思いながら、それでも必死にやってました。  後に大学の同級生にあきれられつつも牧歌的で良いなとうらやましがられました。  今じゃ、足腰痛いと言うだけですね。    (2004年2月12日 記)   …
セルロイド |久々湊真一 思い出ばなし

セルロイド |久々湊真一

ノートの下に敷く下敷きは、僕らが小学校の時は、セルロイドだった。  冬になると、この下敷きを脇の下に入れて強く挟んで、力一杯こする。  そうすると静電気が発生する。 この静電気で細かく切った紙をくっつけたり、女の子の髪の毛を逆立てたりして遊んだ。   放課後のことである。 下敷きの端を少し千切って、…
鹿島中学校 応援歌 |アサピ~ 思い出ばなし

鹿島中学校 応援歌 |アサピ~

初めまして(^O^)/ 昭和41年生まれ または 42年で早生まれで 、鹿島中学を卒業された方 誰か いませんか? 中学1年の担任が嶋田先生。 2年の時も嶋田先生。 確か3年になってから高田先生になったと思いますよ(^O^) 自分は宝町に住んでいた 浅野と言います。   思い出しました。 鹿島中学に…
夏休みのお昼ご飯|高橋 歌子 思い出ばなし

夏休みのお昼ご飯|高橋 歌子

私が子供の頃の夏休みのお昼ご飯といえば「冷麦」 あのピンクとかぐりーんとか入っているやつですね。あれでした。  なにが美味いんだか、色つきのを妹と取り合ったりしてました。  それで、毎日毎日「冷麦」  「たまには違うものが食べたいよ~」  母に訴えると  「今日は違うよ! 今日は、そ・う・め・ん」 …
郷土研究部と地学部|久々湊真一 思い出ばなし

郷土研究部と地学部|久々湊真一

  夕張東高の郷土研究部は我々の頃は、文科系の花形クラブでした。  野村崇先生(先生については項を改めて書く事にします)の熱心なご指導により、学校外への発表も含む本格的な活動を行っていました。  私は郷土研究部に入っていませんでしたが、興味深い活動なので注目をしていました。     高一の夏と思う。…
夏休みの思い出 | 長谷部孝治郎 思い出ばなし

夏休みの思い出 | 長谷部孝治郎

    この季節になると、子供の頃、真っ黒に日焼けして遊びに夢中になっていた事を思い出します。  明石町の自宅の崖下の川で泳いだり、カジカやドジョウ、ウグイを釣って焚き火をして食べたり、今思えば汚い川で泳いで病気にならなかったものだと思いました。    白金の沢にもよく泳ぎに行ったなぁ。    リヤ…
消えた缶ビール|久々湊真一 思い出ばなし

消えた缶ビール|久々湊真一

  本州に来て暫く経ったある日、 『寒さに対する自分の感覚が、内地の人と多少違う』   ということに気がつきました。  内地の人は氷点下になると、全部「寒い」の一言になってしまって 「どのぐらい寒いのか(寒さの程度)」 をあまり区別していないようです。   私は、例えば氷点下5℃と氷点下20℃の違い…
春日町の外水道|成田利夫 思い出ばなし

春日町の外水道|成田利夫

   春日町は、外にある屋根だけの小屋にある水道から、水を引いていました。    たしか各家にはホースをつないで水を引いていて、台所に置いていた大きな甕に溜めていた記憶があります。        冬の寒い朝は、甕の水の表面に5mmくらいの厚さの氷が張り、それを柄杓で割って水を汲んでいました。    …
馬頭観音 |小林光志 思い出ばなし

馬頭観音 |小林光志

 便所場球場に近い大久保さんの向かいに、労働馬の慰霊碑がありました。   「大久保組」ご存知ですか?  ここに多くの労働馬がいました。   私が大夕張にいた頃は、ちゃんと感謝をこめて祭っていました。   (追記)  大久保組の大久保家は、私の遠い親戚でもありましたので ちょくちょく行き来してました。…
闘犬のはなし| 泊川俊徳 思い出ばなし

闘犬のはなし| 泊川俊徳

   子供の頃、春日町の川原で闘犬をしていて、興行を何度か見に行きましたが、短い流行だつた感じでした。    4メートル位の円形で、角材の柵の中で闘犬が行われていました。    闘犬も専門的に訓練されて無い感じで、場当たり的に戦っていたようでした。     一時的な流行でした。    当時、子供なが…
暮れの餅つき | ziny 思い出ばなし

暮れの餅つき | ziny

 毎年12月28日は代々木町の我が家の餅つきの日でした。   昭和30年代、この末広がりの日には、しめ飾りをつけるのと餅つきでしたね。    外はシンシンと雪が降っている。     玄関の障子(ある時期から飾りガラス戸)をはずし、隙間風よけに目張りをしたビニールの上に、新聞紙も所々貼ってあった。  …
本間商店と東高のボタン | 斎藤敏幸 思い出ばなし

本間商店と東高のボタン | 斎藤敏幸

本間商店のおじさんからいただいた、夕張東高のボタン     1997年10月  週末に大夕張へ行ってきました。  ちょうど紅葉が始まっていて、夕張岳の麓も色づいていました。  地元の人に尋ねると、10月10日頃が最もきれいだろうと言ってました。  秋には、一度尋ねてみようと思っている方は、今週末の連…
正月の餅|飯田雅人 思い出ばなし

正月の餅|飯田雅人

 大夕張の師走の話題から、餅の思い出を。 以前『夕張文化』44号に木村東市さんという方が『大夕張歳時記』という回想を書かれていました。   その中で,昭和10年代?の話。   暮が近くなると岩手の母の実家から米一俵ともち米が送られてきて、当時シューパロ川の川縁にあった千年町番外地の堀田牧場に頼んで正…
『それ』のおいしい作り方 |久々湊真一 思い出ばなし

『それ』のおいしい作り方 |久々湊真一

   小学校5年の時に、何故か化学者に憧れて、試験管やらビーカーを買ってきた。     長年シコシコと貯めていた小遣いを、思い切り良く全部これに充てたのでした。   「何に使うの?」   と両親から咎められたが、案の定、実験のアイテムも無くて、ただ透明の容器を眺めて磨いて、ニタニタしていただけであっ…
七万屯突破記念 昭和41年3月 | ziny 思い出ばなし

七万屯突破記念 昭和41年3月 | ziny

     我が家の親の部屋に大夕張鉱業所の記念の皿が飾ってあります。    直径26cmの白地の皿に、紅梅の一枝に咲く数輪の花と蕾と、うぐいすが描かれ、皿の中央寄り縦に右から【 心を一つにして 社長 大槻文平 】と記されております。   裏面には【 七万屯突破記念 昭和41年3月 三菱大夕張鉱業所 …
ウサギのぴょん吉|石原賢治 思い出ばなし

ウサギのぴょん吉|石原賢治

 鹿島小学校2年、3年の頃の話で近所のTさん宅で、ウサギを飼っていました。   そこのお兄さんによく遊んでもらってまして、ウサギが子を産んだと聞き、見に行きました。    ウサギは非常に感受性が強いのか、人に子を見られると食い殺すとかで、網には布で目隠しされて外から見えないようになってました。   …
大根の花 |ziny 思い出ばなし

大根の花 |ziny

  11月の今頃はもう、鹿島の地も白くなっては、消え、また白くなっては消え、地面はゴム長靴の時期でしょうね。   あの頃の夏には、代々木町2丁目の我が家の前庭にはとうきびが結構大きくおがってました。  おばけとうきびといった実の不揃いのも、まま、ありましたが、甘くて美味しい味の思い出です。   トマ…