思い出ばなし

むかあ~し、むかあ~し、ちょっとむかし、こんなこともありましたとさ。
子どもの頃に返って、思い出してみました。

千年町の教会|市橋 勝 思い出ばなし

千年町の教会|市橋 勝

 千年町にも確かに教会がありました。  所商店の斜め向かい側の東小学校寄りの所だったと思います。    すっかり忘れていたのですが、私は小学校の時に青葉荘の友人に連れられて、日曜日毎にその教会に行ったことを思い出しました。  私はクリスチャンでもなんでもなかったのですが、牧師さんが行う説教の後に出て…
松本菓子店|松本勝弘 思い出ばなし

松本菓子店|松本勝弘

昭和39年に生まれ、18歳高校卒業まで、栄町商店街の自宅で育ちました。  今年の春頃に『ふるさと大夕張』を見つけました。最近は、はまってしまい毎晩のように拝見させてもらっています。履歴を探しても同年代の方が少ないのが残念ですが(生徒数が少なかったせいもありますが)   私は、帯向商店と佐藤時計店(キ…
記憶の中の大夕張 その1|乗田功一 思い出ばなし

記憶の中の大夕張 その1|乗田功一

過去の記憶からいくつか。 ●鹿島小学校の運動会 紅白に分かれて勝敗を競う。 グラウンドの校舎側と、富士見町側とに分かれ、応援歌の応酬。  この応援歌、歌詞が難しく、全く意味不明。 最後の「フレー赤 フレー赤 フレーフレー赤~!」  の「赤」の部分が、白組だと「白」になる。 紅白同時に歌い始めるが、数…
フジキさん |田中紀子 思い出ばなし

フジキさん |田中紀子

フジキさんの記憶を読み、もしかしてお父様は「藤木悠紀夫」さん。 私と同期です。 小さい頃は千年町に住んでおりました。 おじい様は最初は井出組でした。後に独立して、「藤木組」を設立され、手広く事業をなさっておりました。 大夕張駅を降りて、春日町に下りる坂の手前に、「藤木精米所」がありました。 遊びに行…
記憶 |フジキ 思い出ばなし

記憶 |フジキ

1968年に大夕張に生まれ、多分、3歳ぐらいの時に埼玉の大宮に引越したのだと思います。 なにぶん、子供の頃なので、記憶が定かでないのです。 父や、お袋の話だと、祖父は藤木組にいて炭鉱で働いていたそうです。 親戚の叔母は、手芸店をしていたような気がします。  父はメタノール工場で働いていたようです。 …
氷点下の炸裂音|仮名13号 思い出ばなし

氷点下の炸裂音|仮名13号

   すっかり真冬、シバレますね。  大夕張に住んでいた頃、1月・2月、寒中の頃   山中から銃声に似た音を耳にしてました。  鹿でも撃ってるのか?   しかし、鹿を撃ち取ったと言う話も聞かない。  何の音かと思いましたら、氷点下30度前後に成ると生木の水分が凍り膨張して、木が裂ける音が、木の炸裂音…
アイスクリーム  | 林 恭子 思い出ばなし

アイスクリーム | 林 恭子

 あれは昭和40年代初めの夏の日だったでしょうか。  大夕張駅前の交差点辺りで、アイスクリームを運んできたトラックが故障して動けなくなりました。   どんどん溶けだすアイスクリームに慌てた運転手さんは、周りにいた人達にアイスクリームを 「食べて!」 と言って、いくつもくれました。    この特別なプ…
何年ぶりかしら|高橋真美 思い出ばなし

何年ぶりかしら|高橋真美

今現在私は東京にすんでいます。 生まれてから16年間過ごしてきた鹿島がなくなるなんて、やっぱり悲しいですね。 住んでいたころは、札幌までなんでこんなにかかるの?とか、雑誌もなかなか手にはいらなかったりと、不便な面ばかり見てました。 友達も急激に減っていて、うつりかわりが激しかったですね。 転校生がく…
郵便局の町内地図|久々湊真一 思い出ばなし

郵便局の町内地図|久々湊真一

『散歩道』の町内地図を懐かしく拝見しています。掲載されている地図は昭和43年のものですが、眺めているうちにある事を思い出しました。 同時期の昭和41年に、私は郵便配達のアルバイトをしたのです(夏休みの帰省時)。 大夕張郵便局には、戸別の詳細地図が備え付けてありました。一家全員の名前が入った非常に詳し…
私の両親は大夕張郵便局職員 | 市橋 勝 思い出ばなし

私の両親は大夕張郵便局職員 | 市橋 勝

 大夕張郵便局閉鎖の報をきいて・・・   いよいよ、大夕張郵便局も閉鎖なのですね。 小さい頃(昭和30後半~40年代)、よく職場に連れられて親の仕事を覗きに行ってました。   当時は、まだ電電公社(今のNTT)と未分離で、電話交換を郵便局でやっていました。  私の母は、その交換手でした。  父のほう…
雪中ジャンプと凍ったタオルのチャンバラ |内川准一 思い出ばなし

雪中ジャンプと凍ったタオルのチャンバラ |内川准一

雪中ジャンプよくやりました。 私らはもっぱら4軒便所の屋根からでした。  姿が完全に雪に埋没するのが最高でした。 長靴から足が抜けなくなるのもお構いなしで、かかとの上にしもやけを作って血を滲ましていた。 最近見かけないタイプの子供だったんだね。栄養状態も悪かったのかしらん。 あと、タオルでチャンバラ…
炭山駅から大夕張駅まで | 石原賢治 思い出ばなし

炭山駅から大夕張駅まで | 石原賢治

 大夕張炭山駅は始発駅でしたが、何度かそこから乗車することがありました。  改札口のすぐそばには、今まさに出発を待つ蒸気機関車が湯気といいますか、蒸気をちらつかせ出発の時間を待ちわびているようでした。  あの、汽笛も子供にとっては大変大きな音で、いつボウ ボウといいますか、ポーポーという音を発するの…
童心にかえって |飯田雅人 思い出ばなし

童心にかえって |飯田雅人

雪での遊び  凍るような寒さの、真冬には何をしたかというと、他愛もないことですが・・・ --真っ白に積もった雪の中へのジャンプ-- これは楽しかったですね。 新雪の積もった朝には、雪かきは大変でしたが、熱くなった身体を冷やすにはもってこいでした。  石炭小屋の屋根の上から、高く積った雪山の上から両手…
東小の思い出マップ|高橋歌子 思い出ばなし

東小の思い出マップ|高橋歌子

  これは、昭和48年の鹿島東小学校の卒業アルバムからです。 夏休みに閉山で転校してしまった私は、卒業していないのですが、送ってもらいました。   閉山の時点で昔より学級数が少なくなっていたので、空き教室が卓球室になり、行く人も少なかったので皆気持ち悪がっていました。    トイレも大きくてシーンと…