思い出ばなし 春日町の我が家|成田利夫 石炭小屋が家の前に建っていて、隣の空き地が畑でした。 キャベツに長い柄の柄杓というんでしょうか、肥掛けすると臭くってねえ。 部屋は3部屋だったような覚えがあって、奥には、4畳半くらいの一部屋を増築してました。 二階じゃないんですが、玄関を正面にみて左側に父が鶏小屋を増築しました。 毎日生む卵… 続きを読む
思い出ばなし 二人用学校机 |飯田雅人 机! 鹿島小学校低学年の頃は、上から重い蓋を持ち上げて、中に道具を入れるタイプの机だった。 真っ黒で木肌がごつくて重い机。 しかも二人用ので、2人の席はしっかりつながっていた。 動かすのも、一人の力では無理で二人で一緒に動かした。 高学年の頃からか,上に蓋のついた机から、天板の下に道… 続きを読む
思い出ばなし 私が住んだ街 |太田 勢 私が大夕張に住んだのは、小学校2年生からの4年間でした。 両親が夕張出身(遠幌、楓)で、祖父母も夕張に住んでいたので、夕張には小さい頃から何度も行ってました。 そんな私が、父の転勤で初めて住んだ夕張の地が、大夕張でした。 私が住んだのは、富士見町6丁目の一番奥でした(家の裏は沢でした)。… 続きを読む
思い出ばなし 祖父の勇姿 | 勝又優子・桃子 祖父は昭和37年まで大夕張常盤町に住んでおり、当時ジャンプの選手として活躍していたとの話です。 大夕張代表として、4山対抗大会に出場し、少年組で優勝したとの事です。 画像が新聞の切り抜きのため鮮明ではありませんが、当時のジャンプスタイルを偲べると思います。 (2005年6月19日 記) … 続きを読む
思い出ばなし 冬のお弁当 | 工藤 央 子供の頃のことを思い出していて、夕張東高校のことを思い出しました。 父が夕張東高の教師だったというのは以前書いておりますが、幼稚園が冬休みの時などに、父に弁当を持っていったときの記憶です。 毎朝高校に行く父は、私のスキーを持って出かけていきました。 11時すぎ弁当が仕上がった段階で、 … 続きを読む
思い出ばなし 八百五十の思い出|ziny やっぱ、思い出は神社の横道から始まる。 じっくりと夕張岳を眺めてから細道を滑り降りていった。 40年前、小学4~5年生の頃何度か行った。 永森恒夫先生に連れて行ってもらった時もあります。 急斜面を前にしてスキーを担ぎ、第1の壁、第2の壁を汗を流しながら登った。 途中、きつつき(あかげら)の… 続きを読む
思い出ばなし 大夕張の冬の遊び | 久々湊真一 もうすぐ冬のオリンピックが始まります。大夕張っ子は、何やらワクワクしますね(笑)。 前祝に「大夕張の冬の遊び」を思い出して書いてみましょう。 <ジャンプ> 大夕張の子供は、小学校入学前後の年齢から、手作り台によるジャンプで遊んだ。 ジャンプ台を作る手順は、次のようにして行う。 (1)… 続きを読む
思い出ばなし 鬼ごっこ |内川准一 小林さんの『鹿島小学校でお化け遊びと称して、何人かの友人たちと学校内を探検』した話を読んで、思い出したことがあります。 当時、線路脇の便所だったか、富士見丘寄りの便所だったか忘れましたが、掃除が終わり、丁度西日が便所の床に射し込む頃、しんとして不気味な雰囲気の校内で、時々かくれんぼをしたもので… 続きを読む
思い出ばなし 忘れ得ぬ鹿島小学校 |野崎昭雄 鹿島小学校校舎の写真を見て、四十数年前の小学校時代を思い出しました。 同校2年生に編入学したのは、昭和26年度でした。 そのときの担任は、若くて活発な尾崎という女性教員でした。 在職中に、あとから赴任してきた西村先生と結婚しました。 西村先生は、背が高く、スポーツマンで、歩き方に特徴ある… 続きを読む
思い出ばなし 大夕張のうさぎの思い出 |小野美音子 ある日、兄達が野うさぎを捕りに行く、ということになりました。 雪原に跳ね回る可愛い野兎を想い、魅力的なこの遊びにワクワクしましたが、母が私だけ小さいからとストップをかけました。 その時は、残念でしょうがなく、涙がこぼれました。 結局、用心深い兎は姿をみせず、兄達は手ぶらで帰って来ましたが… 続きを読む
思い出ばなし 『安田のおばさん』の味|飯田雅人 今日,母がTV番組の道産子ワイドでやっていたからといって、『おふくろ煮』というおかずを作りました。 キャベツをあぶらげと一緒に煮たしょうゆ味の食べ物です。 これを食べるといつも思い出すのは『安田のおばさん』と呼んでいた一人の女性です。 昭和40年前後,父が北大病院に入院し、母が付き添い… 続きを読む
思い出ばなし 教会のクリスマス |千古のみどり 河村先生のステンドグラス 教会の行事があるごとに、河村先生は、色とりどりのセロファンを型どって、教会の窓硝子に貼り付け私達に、ステンドグラスとはこんなものなのかと見せてくれました。 作業は決して人に見せないで、夜中にこっそり仕上げて、私達を驚かせ、喜ばせてくれました。 キャロリング クリ… 続きを読む
思い出ばなし 雪の思い出|上村正樹 雪で思い出すのは、鹿島中を卒業してから高校入学式までの間、除雪のバイトに行った事。 確か日当が600円だったように記憶しています。 他にバイトなんて無かったと思います。 昭和45年の高校入試は大雪で、交通機関がストップして、試験が延期になりました。 東高の行事で雪祭りがあり、製作中に崩れて下敷きに… 続きを読む
思い出ばなし 窓に迫る雪山|斎藤敏幸 栄町ブロックでも良く雪はねをしました。 雪をはねる場所がなくなると、段はねをするのですが、その度に向かいの棟の1階の窓に雪山が迫り、大変だったのではと、今頃痛切に思っています。 1階に住んでいる人たちは、雪山で外は見えないし、暗いし、早く春になって、雪が溶けるのを待っていたのでしょうね。 あんなに雪… 続きを読む