大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■ハチ公前で出会った若者■|高橋正朝 #11 今から三十二、三年ぐらい前の4月か5月ごろの話です。 東京の渋谷駅前のハチ公のところで友人と待ち合わせをしていました。 約束の時刻になっても相手があらわれず、 友人がくるのを、 縁石に腰かけながら人通りに目をやっているとき、私より5cmぐらい背の高い若い男が寄ってきました。 「 ライターあ… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■再・暗夜行路■|高橋正朝 #10 2008年5月18日に、 このホームページに書き込みましたが、 昨日、志賀直哉の「暗夜行路」を再読しました。 結論からいうと、これが何故名作なのか、今回も理解できない。 志賀直哉の別な小説、例えば、「赤西蠣太」や「清兵衛と瓢箪」などは起承転結はハッキリしていて面白く読めますが、「暗夜行路」は暗い… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■長子としての沽券■高橋正朝 #9 私が鹿島東小学校5年生のとき、小学校3年生だったすぐ下の妹に、夏休みのワークブックの国語で、漢字の読み方を訊かれました。 「 意見 」を「 イミ 」と教えました。 夏休みが終わり、8月下旬か9月の初めごろ、「お兄ちゃん、ウソ教えた」と言われてしまいました。 鹿島中学3年生の冬休み、ワークブック… 続きを読む
思い出ばなし フォークダンスの思い出|Mask-man https://youtu.be/kN6LVJpElYU フォークダンスの思い出 【Mask-man】 鹿島中学校3年の時、一方的に気になっていた女の子がいて、一緒に踊れることを密かに期待していた子がいました。 彼女は、芦別からの転校生でした。クラスは同じでしたが、まともにおしゃべりをしたことは… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■コンリュウ■|高橋正朝 #8 鹿島中学校に入学したときは、小学校4年生から5年生、5年生から6年生になるときとは印象が全く違ってました。 鹿島小学校の生徒と東小学校の生徒が同級生になった、ということもあるし、 第二次性徴が顕れるころで異性に注意がいくころ、ということもあるし、授業が科目ごとに先生が変って、内容に深みがでて難しくも… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■雪合戦■|高橋正朝 #7 鹿島中学校1年生の春休み前の体育の授業のとき、雪合戦をすることになりました。 春めいてきて、時々寒い日がぶり返したり、という時期でした。 私は、F組でしたので、体育の授業のときの生徒の半数は、E組の男子です。 E組とF組との雪合戦です。 雪合戦は、F組のほうがチョット優勢。 私は調子に乗… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■暗夜行路■|高橋正朝 #6 昭和40年に、夕張工業高校土木科に入学した丁度今頃の季節、文庫本で、志賀直哉の「暗夜行路」を読みました。 これは、鹿島中学2年生のとき、国語の授業で、菊池先生が汽車に乗ったとき、「高校生が、志賀直哉の『暗夜行路』を読んでいた。みんなも、そのくらいの年になったとき、そいうものを読むのもいいだろう… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■再会■|高橋正朝 #5 9月初旬に札幌に行ったとき、 この HP を見て私にメールをしてきた鹿島中学校1年~2年のときの同級生に連れていってもらい、 美術を教えてくださった 村山貢 先生を江別に訪ねました。 具体的な所在地がわからないので駅から電話したところ、 恐縮にも車で駅まで迎えにきてくれました。 43年ぶり… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■列車を止めた熊■|高橋正朝 #4 昭和39年だったと思いますが、 その年の2月、大夕張は大雪になり、明石町と南部の間が雪崩で汽車が不通になったことがありました。 期間はハッキリ覚えていませんが、一週間ぐらい汽車が通らず、野菜や他の食料品が鹿島に入荷しなかったことがあります。 ホント、鹿島というところは陸の孤島でした。 私は、 夕張… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■北海道弁■|高橋正朝 #3 昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。 私が大夕張に住んでいた例年の今頃の季節(11月)は、 初雪が降るか降らないか、 という時期でした。 以前に比べると、 北海道も気温が高くなってきているようですが・・・・・・ 真冬に風… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■アリ地獄■|高橋正朝 #2 私は昭和23年11月生まれですが、 子供のころは夕張メロンという名称はなかったと思っています。 そのかわり、 アジュウリというものがありました。 今考えると、 味瓜という漢字を当てていたのかもしれません。 メロンと同じ味がした記憶があります。 メロンの一種だったのでしょうか・・・ 。 小学校… 続きを読む
大夕張つれづれ 大夕張つれづれ■自己紹介■|高橋正朝 #1 「大夕張つれづれ」について 「ふるさと大夕張(1丁目1番地)」に住民登録のコーナーがありました。高橋正朝(たかはしまさとも)さんは、2006年の初投稿以来、あしかけ11年、数十回にわたって、大夕張のことを念頭に、日々の生活について綴り、読む人を楽しませてくれました。 「ふるさと大夕張2丁目3番地」へ… 続きを読む
思い出の記 石炭のはなし|Kawauchi Masami 当時、あちら こちらに有った 石炭の彫刻です。 三菱大夕張の石炭は炭質が良く 手で触るとボロボロに崩れてしまい 彫刻出来ませんでした。 写真のものは 北炭登川炭鉱の 目無し炭と言う 崩れる目の無い非常に硬い石炭です。 残念ながら写真しか有りませんが 当時彫刻が流行っていて 鉱業所に 会社のお土産… 続きを読む
思い出ばなし 思い出ばなし 宝沢のトンネル 鹿島小学校の裏手を流れる沢がありました。宝の沢(宝沢)という沢です。緑町と宝町を結ぶため道路が出来て埋めたてられ、沢水を通すためのトンネルが出来ていました。そんな宝沢のトンネルのお話です。 昭和33年の大夕張の資料から。泉町の宝の沢の周辺に色づけ。緑ヶ丘と錦町をつなぐ橋は地図上にはありませんでした。… 続きを読む
思い出ばなし たった一度の夕張岳登山|飯田雅人 昭和30年頃 夕張岳山頂での父の姿 たった一度の夕張岳登山。 夕張岳山頂。ここに初めてのぼった時、金山営林署と書いてあるのを見て、夕張側しか見たことなかった中学生としては、なんで大夕張でないの?と素朴に思いました。 残念ながら私の山頂写真はありません。ここにうつっているのは私の父です。北海道に… 続きを読む
回想・随筆 ネットDE思い出ノート NHKBS『私のふるさと物語』大夕張ロケの翌日、2001年10月29日から、番組が放送された2002年1月12日まで、当時鹿島小学校横に設置されたいた『思い出ノート』のネット版として、「ネットDE思い出ノート」という掲示板を期間限定で開設しました。そこに書き込んでいただいたものです。 ああ~大夕張 … 続きを読む
回想・随筆 大夕張 心に残る出来事 あなたの心に残る大夕張での出来事・・・、毎年季節が巡るとやってきたあのイベントや行事・・・、突然やってきた思わぬ出来事・・・、年を経てもいつも思い出すあのこと。大夕張に確かにあったあの日あの時をここに・・・。 上の文章は、かつて「ふるさと大夕張」(1丁目1番地)で『大夕張 心に残る出来事』として、ア… 続きを読む
回想・随筆 母校四十周年記念にあたりて|佐藤政一(鹿島小学校「四十周年記念誌」から) 「母校四十周年記念にあたりて」 鹿島小学校 第一期卒業生 佐藤政一 秀峰夕張岳清き流れ夕張川に位置して建てられた私たちの母校も四十年の歴史を刻み、ここにその記念日をむかえるにあたり、夢のように過ぎ去った数々の思い出が、今頭に浮かんできます。 当時の校舎は、現在のほうに第二線校舎一棟にて、生徒数も約四… 続きを読む
随想 惜別の町 | 小倉芳子 「大夕張にお別れをしに行って来たの」と突然友人からの電話。 夜になっても変わらない暑さに、だらりとしていた全身の神経が一瞬引きしまり、私も行きたい!と思 わず心の中で叫んだ。 九ヶ月の長男を抱いて私たちが彼の地へ足を踏み入れたのは昭和29年8月だっ た。 東北本線、青函連絡船、函館本線、室蘭… 続きを読む
食憶 食 憶|長谷川潤一 S33年大夕張生まれ。彼の大夕張での記憶は他を圧倒する。 ■エピソード1■その2 食堂のお話■その3 「へ」の字■その4 小学校の給食■その5 木箱の中身■番外編 「CM」■その6 三尺鯉■その7 住環境と食生活■その8 お上品な御味■その9 歩道橋の3時■その10 しゃっこい水■その11 お湯■… 続きを読む