岳麓の里 大夕張10景(10) 脈うつ工場群 大夕張10景(10)脈うつ工場群 画・・・・野 田 淑 雄 文・・・・佐 藤 貞 雄 坑内入坑者の列について一足工場地帯へ入ると、ほぼ正面に、雪をかぶった円すい形の丘が二つ、三つと見える。坑内からの排せつ物といわれるズリ山である。九州地区ではボタ山とも呼ぶ。大夕張砿業所40年の歴史が、ここに積みあげ… 続きを読む
岳麓の里 大夕張10景(9)駅前銀座 大夕張10景(9)駅前銀座 画・・・・野 田 淑 雄文・・・・佐 藤 貞 雄 戦前から大夕張に住むおとしよりたちは、駅前通りを歩きながら「随分変わったもんだ」と、感慨深げな表情を見せることがある。幅12メートルの舗装道路が走り、2階建て約60軒の商店がある。やまのデパートといわれる購買会をはじめ、食… 続きを読む
昭和 1939年(昭和14年) 1月 1日,帝室林野局大夕張出張所発足。 4月 1日,大夕張鉄道旅客運賃改正 粁当賃率1銭5厘6毛。 20日,地方鉄道「三菱鉱業株式会社線」として一般運営業を開始。社線内旅客及び貨物の取扱を開始する。タブレット閉塞器設置。旅客賃率1銭5厘6毛。 大夕張~新清水沢間24銭。 石炭賃率18粁50銭。当時… 続きを読む
岳麓の里 大夕張10景(8) 常盤橋のリズム 大夕張10景(8)常盤橋のリズム 画・・・・野 田 淑 雄 文・・・・佐 藤 貞 雄 ゆれる、ゆれる。一足ごとに右へ、左へ、上下へと、ともすれば体のバランスを崩し、かたわらのワイヤーロープへしがみつかせる。だが、常盤町に住み、通学生などここを通る人たちは、橋げたの浮き沈みに体の調子を合わせてすーっ、… 続きを読む
昭和 1938年(昭和13年) 2月 中央斜坑掘削開始。10月20日,大夕張鉄道が,専用鉄道から地方鉄道への改組が認可。通洞の駅名を大夕張炭山と改称。 31日,清水沢出張所を新清水沢と改称。11月 15日,大夕張発電所設置(旧鹿島沢・旧大夕張の2発電所は廃止)。 宝町ができる。 【夕張市人口 57306 : 大夕張地区人口… 続きを読む
岳麓の里 大夕張10景(7) 年輪と風格の事務所 大夕張10景(7)年輪と風格の事務所 画・・・・伊 藤 清 治 文・・・・佐 藤 貞 雄 大夕張砿業所は開坑以来40余年の歴史をもつ。そのシンボルが砿業所事務所である。一部2階建て。開坑とともに建てられ,この2階の一部に,大夕張郵便局が間借りしていたこともある。三菱鉱業石炭部門の中枢,大夕張の脳幹で… 続きを読む
岳麓の里 大夕張10景(6) 公園の足あと 大夕張10景(6)公園の足あと 画・・・・野 田 淑 雄 文・・・・佐 藤 貞 雄 片手片足、松葉杖をついた少年が、じょうずに吹きならすハーモニカの音色が、栄町わきのところどころに笹やぶがある林の中から流れ、そのそばで、もう一人の少年が、じっと聞いている。十三夜の月が、二人の少年の姿を照らしている。… 続きを読む
岳麓の里 大夕張10景(5)白銀橋に憩う 大夕張10景(5)白銀橋に憩う 画・・・・伊 藤 清 治 文・・・・佐 藤 貞 雄 いっぱいに水をたたえたシューパロ湖と、残雪の夕張岳を右に見ながら、バスは大夕張へ向かう。湖水が右へ別れる地点へ来ると、前方にクリーム色のしゃれた橋が、湖をひとまたぎしている。白銀(しろがね)橋という。 … 続きを読む
岳麓の里 大夕張10景(4)山すその街なみ 大夕張10景(4)山すその街なみ 画・・・・野 田 淑 雄 文・・・・佐 藤 貞 雄 西側の山にへばりつくように住宅が建てられ南,北に幹線道路が走っているため、住民は悲しいときにも、うれしいことにも東の空にそびえる夕張岳を眺める。 しかし春日町対岸の、磯次郎沢の尾根に立って西を見ると、標高768メー… 続きを読む
消える街からの伝言 消える街からの伝言 第二楽章せせらぎ(宝の沢)|久々湊眞一 何も無くなった鹿島小グラウンドでは、風のつぶやきが聞こえた。笹藪に埋もれたシューパロ湖の淵では、鎮魂曲が流れた。私の原点、大夕張が消える。嗚呼。 ■第二楽章■せせらぎ(宝の沢)(演奏時間2分55秒 ) 雪解水の勢い良い流れをトレモロで表現。川の流れは昔のままですね。。。 … 続きを読む
学び舎の思い出 夕張東高校 登校風景 冬のある日の登校風景です。高台の高校に坂道を登ります。 昭和47年発行夕張東高等学校20周年記念誌『シューパロ』より 「昭和42年~昭和46年」とあります。 … 続きを読む
昭和 1937年(昭和12年) 5月 15日,主夕張森林鉄道,大夕張貯木場から二股沢までの15.4km竣工。7月 21日,専用鉄道を地方鉄道に改組申請。8月 12日,地方鉄道改組に備え新製蒸気機関車9603号入線。『No.3』10月 客車ナハ1入線。 15日,大夕張尋常高等小学校校舎増築 教室5,廊下,東側玄関 255坪 学級数(… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年頃 鹿島小学校前 昭和40年頃 鹿島小学校前 【飯田雅人】(2005.7.29) 鹿島小学校,旧校舎の玄関前の写真です。私が通っていた頃は,低学年がこちらを利用していたでしょうか。後ろには日曜学校やクリスマスのバザーなどで通っていたカトリック教会。そして,校舎前には『標高318米』の白い柱が立っています。子どもの頃、… 続きを読む
消える街からの伝言 消える町からの伝言 第一楽章雪解けの頃(大夕張4月)|久々湊眞一 何も無くなった鹿島小グラウンドでは、風のつぶやきが聞こえた。笹藪に埋もれたシューパロ湖の淵では、鎮魂曲が流れた。私の原点、大夕張が消える。嗚呼。 ■第一楽章 ■雪解けの頃(大夕張4月)(演奏時間 4分) 雪が解けて徐々に地面が見えてくる。大夕張ならではの「うれしさ」。。。… 続きを読む
2丁目3番地 外観あれこれ いいねボタン 気がつかれている方もいるかもしれませんが、メニューなど、外観の細かいところを時々いじっています。 「検索」を「あなたの気になる大夕張を探してください」としましたが、どうでしょう。ちょっとはとっつきやすくなったかな。 サイドに「読まれている記事」の欄がありますが、これは、一週間のpv(ページビュー)数… 続きを読む
岳麓の里 岳麓の里 序 【岳麓の里】 大夕張は,旧国鉄清水沢駅から17.5キロ,夕張岳に向かった山峡にあった。かつては途中に高さ20メートルの鉄橋が8つもあり,住民は時速17キロの汽車に揺られ,景色を眺めながら乗っていた。夕張北高に通っていた生徒の中には,勾配1000分の16.7(1000メートルで16.7メートル上る)の… 続きを読む
思い出貼 ゆきどけ 特に山の裾の方では水が湧いていて湿地がたくさんありました。大夕張神社の参道の鳥居があったところにも,大きな湿地がありました。 春が近づき暖かくなると雪の下の方から雪がどんどん溶けていきます。雪を掘っていくと,シャーベット状の雪があらわれ、それを使って水遊びとも、雪遊びともつかぬ、冬も最後の遊びに没頭… 続きを読む
パノラマ 昭和32年大夕張2(パノラマ) こちらの写真、4枚の写真を合わせたものです。佐藤貞雄さんの『岳麓の里』を読むと春日町対岸からの眺望について書いてある箇所があります。そこかもしれません。大夕張神社とは違った感動があります。昭和32年大夕張(パノラマ)と対になった写真です。こちらも後日、一枚ごとの写真を掲載します。 昭和32年大夕張パ… 続きを読む