楽しかった日々 昭和31年 鹿島小学校6年修学旅行 昭和31年9月13日の記載がある。 修学旅行に祖父が教頭として同行したときのもの。 大夕張では、この3日後、9月16日に山内線の開通式を迎え、街の中を三菱バスが走りだす。 『バス』という乗り物。それまでは、めったに乗ることはもちろん、目にすることもなかった。 まして『陸の孤島』下の大夕張。 … 続きを読む
思い出の街角 大井組と大井質店 大井組は、大正年間に現在の南部にあった大夕張炭鉱株式会社に大井鉄平氏が、請負業として入った。飯場をかかえ、坑内の仕事も請け負っていたらしい。 大正10年7月25日新錦坑でガス爆発があった。 死亡者は、大井組飯場所属の組夫千葉某以下5人であった。そのショックから大井組は、坑内の仕事から手を引いた… 続きを読む
絵葉書 三菱大夕張礦業所 会社指定理髪部/大運動会 昭和15年(1940年)頃、三菱大夕張礦業所発行の絵葉書に、着色してカラー化。 『大運動会』 礦業所主催の運動会。富士見ヶ丘グラウンドにて、リレーの競技中の写真。 小学校校舎の2階のあたりから撮影したのだろう。グラウンドの線路側にはテントが建ち並ぶ。 それにしても周囲の応援する人達の数がも… 続きを読む
思い出ばなし 映画館(協和会館)| 野崎昭雄 大夕張の映画館、1軒だけは、記憶しております。 駅前から春日町へ向かって行った左側にあったと思います。 鹿島小学校の学芸会で、この映画館の舞台を利用したはずです。 ここで見た最初の洋画は、ゲリー・クーパー主演の「遠い太鼓」でした。 たしか、炭坑に勤務している家族と、それ以外の者では入館料が違ってい… 続きを読む
思い出の街角 明石橋と旭沢橋梁 昭和45年頃 旭沢橋梁に並んで、昭和27年に竣工した千年町と明石町を結ぶ明石橋。 遠くには、常盤町の街が、山の斜面に見える。 白黒写真に着色した画像 旭沢鉄橋 【山下貢】( 2006/10/21(Sat) 12:55) この鉄橋の名前を初めて知りました。 確か、幼稚園児(S28年… 続きを読む
2丁目3番地 すずらん灯 昭和30年代の千年町商店街の写真を見ていると、目につくのはすずらん型の街路灯である。 球形のライトが鈴蘭の花のように連なっている洒落たデザインである。 同じく昭和31年のメーデーの大夕張駅前の写真にもすずらん型の街路灯が写っている。 対して昭和40年代、大夕張駅前周辺の写真をみると円盤状… 続きを読む
統計 鹿島東小学校 児童数・学級数の変遷 開校 昭和26年6月開校 閉校 昭和53年3月閉校 和暦西暦学級数児童数(人)昭和26年195112606昭和27年195212604昭和28年195312656昭和29年195415745昭和30年1955231167昭和31年1956251248昭和32年1957261332昭和33年19582… 続きを読む
絵画 遠足 ~祖父のスケッチ帖から~ 昭和21年10月22日遠足と祖父の字で記入がある。 調べるとこの日は、火曜日。 子どもにとって遠足は、前日の夜はリュクサックに詰めた荷物を枕元に置いて、次の日が待ち遠しくて眠られなかったものである。 そして、遠足といえば、天気が気になる。 気象庁のサイトで、地域から年月を遡って過去の天気を調… 続きを読む
学び舎の思い出 昭和25年 鹿島中学校校舎 見るからに新しい出来たばかりの鹿島中学校の校舎。 職員とともに、鹿島小学校の校長・教頭、鹿島中学校内山清治初代校長の顔が一緒に写っている。 昭和22年(1947年)に鹿島小学校に併置された中学校の校舎が、常盤町にできて生徒達が移動してきたのは、昭和24年のこと。 一方、昭和23年… 続きを読む
思い出の街角 鹿島自動車整備工場 看板 大夕張駅方面から明石町に向かうと、明石橋手前の左に自動車工場の建物、自動車教習所のコースへ降りる道路の入り口のようなものが見えていた。 かつて、大夕張に帰るときには、明石町を過ぎ自動車工場の看板が見えると、長い旅の終わりに「街に返ってきた」という気持ちが湧いたものだった。 昭和61… 続きを読む
街の行事 祭りの子ども 昭和43年6月15日 の山神祭。 栄町町内会の子どもたち。 団扇をもったお祭りの子どもとその後ろには子ども御輿(担ぎあげる棒と花紙で飾られた御神体が見えている)。 後方には炭砿病院方面の建物の一部が写る。 自分と同時代、同年代の子どもたち。 どの顔も見知っている顔に思えてくる。 白黒写真に着… 続きを読む
街の行事 栄町 山神祭 昭和40年代 栄町の通りを行く山車。この頃6月に行われていたお祭り、この日は、小雨模様だったのでしょうか、ところどころに、傘の花が開いています。 場所は、2丁目と3丁目の間か。 白黒写真に着色した画像 冬の栄町2丁目と3丁目の間の通り↓ https://ooyubari.com/2022… 続きを読む
続・大夕張つれづれ 大夕張劇場の映画ポスター、〘 透明人間と蝿男 〙|高橋正朝 #91 この映画も、実際には観ていない。 しかし、例によって、映画のポスターを、大夕張劇場のガラス戸ごしに眺めている。 1957年8月25日に主要都市で封切りされたようであるから、大夕張劇場で上映されたのは、その年の秋だったろうか ••••••。 この映画も観たかったが、もし、観た… 続きを読む
栄町3・4丁目 栄町3丁目・4丁目 12番地以降 栄町3丁目、4丁目。中央浴場と、リハツパーマの看板の理容院(菊田理容院→菊地理容院の誤り)そばの旧浴場あとの空き地が目につく。 昭和8年に病院横にできた大夕張幼稚園が、「昭和21年栄町3丁目18番地」に移転し、その後、健保会館横に写ったと資料にはある。 住宅地図ではけっこう空き地があるように見え… 続きを読む
栄町3・4丁目 栄町 3丁目・4丁目 1番地~11番地 栄町3丁目と4丁目の1番地~11番地を切り取った地図。 駅前通りから数えて1番地、排水溝を流れる沢水が通るところまでが11番地。 2丁目と3丁目の間の通りは、代々木町との境のバスが通った通りと同じような広さがあり、この地図で見るよりもっと広かった印象。 お祭りの子ども神輿の行列もこの2丁… 続きを読む
写真 桜と夕張岳 先日、2022年5月6日の大夕張行。 大夕張に向かう夕張市内は桜が満開だった。 ここからは夕張岳本体が一番よく見える。 場所は、清水沢から大夕張方面に入って直ぐ旧北炭清水沢発電所の手前あたり。 住んでいた頃ここから見える夕張岳の姿は見たことはほとんどなかった。 この姿は、大夕張に「もどる」記… 続きを読む
栄町1・2丁目 栄町 1丁目・2丁目 12番地~27番地 大夕張で、一番人が住んでいた栄町。昔、木造の炭鉱住宅が建ち並び、昭和32年頃からは栄町アパートができて、昭和43年の住宅地図にもびっしり世帯の名前が書き込まれている。 たぶん印刷してこの地図を見てくれる方もいると思うが、字が詰まっていて見にくかったので、栄町アパート分を切り分けた。 前回「栄町… 続きを読む
栄町1・2丁目 栄町 1丁目・2丁目 1番地~11番地 栄町は大夕張で一番人口が多かった地域。 栄町の住宅地図を見ると、栄町アパートは、12番地から始まる。 大夕張の住所を詳しく知っているわけではないが、駅前通りの反対側は緑町だ。 なので、駅前通りを基点に栄町の1番地が始まり、富士見町から理容フレンド、栄町浴場詰所の横を流れる排水というか、沢水ラインまで… 続きを読む
あらかると 各町で人口が多かったのは? 大夕張の人口が南部地区と合わせて23751人という記録が残っているのが、昭和35年のこと。 その時が大夕張の人口のピーク。 南部地区をのぞいても、18659人だった。 もっとも鹿島地区だけでみると、昭和30年の18778人という数字もある。 国勢調査のデータやら、住民基本台帳の数字やらで、… 続きを読む