思い出ばなし

むかあ~し、むかあ~し、ちょっとむかし、こんなこともありましたとさ。
子どもの頃に返って、思い出してみました。

グスベリとカリンズ |久々湊眞一 思い出ばなし

グスベリとカリンズ |久々湊眞一

グズベリーとカリンズ    子供の頃はグスベリと言っていたが、正式名称はグズベリーというのだそうだ。  大夕張の泉町のうちの庭に木があって、大量に採ることが出来た。  実は、薄い緑色をしていて、縞模様がついている。  口に入れると、ぺちゃっとつぶれ甘酸っぱい香りがした。  うちでは食べきれない分を、…
台湾の大臣 | 内川准一 思い出ばなし

台湾の大臣 | 内川准一

  おぼろげな記憶です。  昔。親父の同僚に台湾?から復員してきた人がいた。  (時々家に来ていたけど名前は思い出せない。)  で、この人の口癖、   「おれの兄弟は台湾で大臣してる。」  は、いつも回りの笑いものになった。  しかし、昭和30年代始め頃のある日、台湾のある大臣が来日し、ついでに、な…
富士見町6丁目 | 木村滋 思い出ばなし

富士見町6丁目 | 木村滋

はじめまして。 飯田さんの住んでおられたあたりに、私も住んでいたような気がします。 6丁目7X番地???、私の記憶と情景が一致します。  もっとも、昭和23年から33年ころまでかな・・・。 その後、4丁目のブロックアパートに引っ越しました。  私のいたころの大夕張は全盛期で、中学1年の時は1学級50…
ござっぺ釣り |曽根幸夫 思い出ばなし

ござっぺ釣り |曽根幸夫

      七夕が近くなると、毎年のござっぺ(カジカ)釣りを思い出します。    ござっぺは、7月ころ子持ちになりますので、ちょうど良い時期なのです。         兄とござっぺ(カジカ)釣りに出かけます。  大体30分くらいでバケツ一杯釣れるのです。    それを持ち帰って外で七輪で焼いて母が佃…
エルボンでの踊りの思い出|小野美音子 思い出ばなし

エルボンでの踊りの思い出|小野美音子

   大夕張文壇の至宝、夕輝文敏様の作品の中に、BARエルボンの名を見たとたん、懐しさで胸が熱くなりました。・・     私はここで、踊っていた・・・  きれいな着物を着て仲間の女の子達と・・・・      食費がかさみ兄達の学費のために、踊りのバイトをした・・・・~と、いうわけではありませんでした…
メイプルシロップのおもいで | 宇良田彰 思い出ばなし

メイプルシロップのおもいで | 宇良田彰

 この話は私が確か小学校の頃の想い出だと記憶しています。    スキー場があったところのちょっと上の方に「イタヤカエデ」の木が結構ありました。  その幹にナイフでキズを付けて出てくる樹液を煮染めると美味しいよと、誰かが言ったのを聞いて、やってみようと思い立ち、インドネシアで生ゴムを採取している写真を…
UFO(?)の想い出 |市橋 勝 思い出ばなし

UFO(?)の想い出 |市橋 勝

   私が小学3年生頃のことです。 あれは確か土曜日の午後のことだったと記憶しているのですが、穏やかな天気のいい日でした。  私は、下校して直ぐに宝町にいた大西君という同級生の家に遊びに向かっていました。  宝町には弥生町や春日町のほうが眺望できる崖がある所があったのですが、下校途中の中学生や長屋の…
大夕張幼稚園の思い出 |小野美音子 思い出ばなし

大夕張幼稚園の思い出 |小野美音子

  私の幼稚園の運動会は、とっても地味でした。  場所も室内でいつものお遊戯場。  応援もなく、園児服で、まるで普段のそのまんま~。   「今日は運動会なんだー」 と自分に言い聞かせながら走った記憶があります。     賞品が用意されていたのがいつもと違うところでした。      お歌の指導は主に金…
日帰り旅行をした大夕張の犬 |久々湊真一 思い出ばなし

日帰り旅行をした大夕張の犬 |久々湊真一

    泉町のみなと印刷には、シェパード犬がいた。  名前をトムと言う。     大夕張の過酷な自然条件にもかかわらず、18才(昭和32年~50年)の長寿をまっとうした。     トム君は番犬としては全く役に立たなかった。  人懐こくて、誰にでも尻尾を振る。   たぶん泥棒にも、尻尾を振って愛嬌を振…
冬の思い出|花田勝則 思い出ばなし

冬の思い出|花田勝則

       雪投げ(雪かき)は、しっかりと記憶に有ります。    雪が沢山降り続いた時には、朝までに三回も雪投げしなければならなかったですネ。      石炭を頼むと代々木町一丁目までは馬そりで来るのですが、二丁目までは来て貰えず、一丁目におろして行った石炭を、バケツに入れ天秤棒で、二丁目の自宅ま…
錦町2丁目と3丁目の間の坂 |曽根幸夫 思い出ばなし

錦町2丁目と3丁目の間の坂 |曽根幸夫

      昭和47年頃錦町 2丁目と3丁目の間の坂道    飯田さんがキャッチボールした坂道は、まさしく思い出帖の錦町写真の中の錦町に出ている2丁目と3丁目の間の坂道です!    時期が若干違えど飯田さんもそこにいらっしゃったんですね。    その坂は突き当りが線路で、その手前に錦町購買会がありま…
松ぶどう |曽根幸夫 思い出ばなし

松ぶどう |曽根幸夫

   私は鹿島東小から鹿島中学校(昭和37年卒)、東高校1年の時に大夕張を離れました。  「ふるさと大夕張」をよく見て懐かしんでおりました。しかし投稿はめっきり減って淋しい限りです。  山ブドウの投稿を見て一言投稿します。 山ブドウは確かに酸っぱいですよね、でも松の木の近くのブドウはなぜか粒が少し大…
長屋と共同浴場の思い出  | 山家直己  思い出ばなし

長屋と共同浴場の思い出  | 山家直己 

  桜荘周辺に同期も多く、先輩や後輩・父母達も一緒になって卓球が出来て長屋人情物語です。   さらに共同の大きな風呂は、大人も子供も裸の付き合いで、知らないうちに仲間意識が出来て、誰にでも挨拶が出来るようになる教育の場だったかもしれないね。     ただ思春期頃は、母と一緒に、同期の女の子達とお風呂…
記憶の中のお祈り |小野美音子 思い出ばなし

記憶の中のお祈り |小野美音子

  教会での劇を終えて帰宅する菅井さん親子     「昭和40年鹿島小学校前」の写真にジ~ンときたことがあります。    東方の博士役を終え満足そうな菅井さん。  3人を見守るように、お母様が身体を少しかしげ、かごを持つ姿にどこか聖らかで暖かいものを感じたからです。    そしてバックに映る美しい教…
正月の楽しみ 新年特大号 |飯田雅人  思い出ばなし

正月の楽しみ 新年特大号 |飯田雅人 

   子供の頃,お年玉の使い道は,まず漫画本でした。   小学生の頃は,漫画雑誌・・『少年』『冒険王』『少年画報』『ぼくら』等といった少年漫画雑誌が出ていて,これらは当時月刊で、しかも毎月買えるほど豊かではなく、読めなかった号の話は友達の家へ行っては、読んでくるというような読み方をしていました。  …
私の行った床屋さん |菅井宏史 思い出ばなし

私の行った床屋さん |菅井宏史

大夕張で私が行っていた床屋さんは二つありました。  確か小学校2、3年の頃までは官行(あの辺がこういう名称であったことは、実はこのHPで始めて知った次第です)にあった床屋さん(名前は覚えておりません)に。 それ以降は春日町にあった横山さんという床屋でした。  その頃官行に親戚がいましたので、たぶんそ…
大夕張の素朴な遊び |久々湊真一 思い出ばなし

大夕張の素朴な遊び |久々湊真一

  団塊の世代(私の年齢のもの)は、昭和20年代末に小学生となりました。 戦後の混乱から一息ついた時期ですが、敗戦による貧しさの影がまだ残っていました。   子供達は手近なもので工夫をして、遊びに興じていました。そういう素朴な遊びを思い出して書いてみます。   <けんぱ>  地面に直径30cm位の○…
窓から見えたスキー場 | 堀田牛乳長男 思い出ばなし

窓から見えたスキー場 | 堀田牛乳長男

 富士見町のスキー場、4年前に滑りました。(1998年頃)   小学生時代にスキー部で活動していたときは、有志がシーズン前に笹がりをしていたので雪付きが良くて良いゲレンデでしたが、4年前に滑ったときには、笹の上に乗った雪が滑ってしまい、ロープ小屋の上部は地割れのようになっていて結構怖かったですよ。 …
冬のワカサギ釣り| Toshinori 思い出ばなし

冬のワカサギ釣り| Toshinori

     自分は釣りは、やらないのですが、大夕張にダム湖が完成し、シューパロ湖ができた昭和37年頃、ワカサギの稚魚を放流したという。    北海道では冬に行なわれるオホーツク地方の網走湖のワカサギ漁が有名ですが、シューパロ湖では、ダムに氷が張ると氷上に風よけを作り、氷に穴を開けてワカサギを釣る風景が…
スキー場の思い出と神社からの声 | かめ 思い出ばなし

スキー場の思い出と神社からの声 | かめ

  スキー場・・・ 懐かしいです。 ロープを掴んで中腹まで登るわけですが、当時は毛糸の手袋の為、滑ったりして、ロープを脇に抱えたり。 ロープを抱えると、防寒着が絡まってしまい、リフトの安全装置にぶつかって停止させる子が結構いました。   ロープを抱えられると、その前後の人のロープが大変重たくてよく大…